都制の促進と区自治権の拡充

597 ~ 599

区制実施にともなう新しい執行機関と区会は成立したが、問題は山積みしていた。こうした難問に立ちむかう上で、区は一定の自治を認められた法人であるとはいえ、あまりにも権限が小さすぎた。先にもみたように以前の町制施行の時期には認められていた首長(区長)の公選・徴税権・起債権は区には認められていなかった。

ここから当然自治権拡充の要求が起こってくる。この動きは市郡合併の前提となっていた都制の実現と結びついていた。当時政府当局においても、都制に関して審議中であったが、その促進のため品川区会・荏原区会にそれぞれ都制促進実行委員会がおかれ、東京都制促進全市三十五区連盟に加入した。この実行委員会を中心に区会においては、数回にわたり都制促進に関する意見書を決議し、内務大臣・東京府知事・東京市長にあてて提出した。

 その内容は、都制実現は必ず区の権限を拡張する方向で行なわれることを期待しながらも、一部に存在する行政組織の単純化・統制化・負担の均衡なをど名目として、区の権限を縮小、あるいは法人区を廃して単なる行政区にしようとする意見に強く反対している。その上で区民の要求として次の四項を掲げている。

 一、都の区を法人と為し、中央事務の一部を移譲し、自治権を拡張すること。

 二、都長を官選とすること。

 三、都の区長を公選とすること。

 四、都の区に区税及起債権を認むること。

(昭和八年三月二日、品川区会意見書)

 ここに見られるように、区民の都制実現要求は、区の自治権拡充の要求と強く結びついていた。実際において区が法人格を認められていたとはいえ、その固有の権限は区有財産および営造物の管理にすぎず、区役所業務の大部分は、東京市・府あるいは国の委任業務にすぎなかった。そしてこれらの委任業務に関して、区民の代表たる区会は、意見をさしはさむ権限をもっていなかったのである。中央事務の移譲、区税および起債権容認の要求はこうしたところから生まれてきた。そしてそれは当然区民首長としての区長の公選要求に結びつく。

 しかし、第二項での都長官選の要求はこれらの区自治権の拡充要求に逆行していた。府県制度施行以来、官選の府県知事にならされてきた東京市民は、なお都長官の公選を主張しえなかったのである。このことは結果において、内務省が都制の実施によって東京市の自治権を奪おうとすることにのせられる危険性を含んでいたといわねばならない。

 のちにのべるように昭和十八年、都制の実現は都長官の官選というきわめて国家的統制の強い形でおこなわれたが、それは一面で区自治権拡充とひきかえに、都長の官選をやむなしとするこれら区議会の動きを、内務省が巧みにとらえたものといえよう。