教育施設の拡充

599 ~ 600

市郡併合にあたって品川・荏原両区の最大問題の一つは、小学校二部授業の解消であった。区制施行後も人口は増加し、従って就学児童も漸増するなかで、区民の教育熱も高まっていた。

 いま品川区の場合をみると、昭和九年四月における学齢児童は二万三二九〇名で、うち就学児童は二万三一七一名、就学率は九九・四九%に達していた。この年卒業した生徒数は、三、三〇六名であるのに対して、入学生徒数は四、一六六名、その差八六〇名の増となっている。

 他方卒業生徒の進学・就職状況をみると、第155表のようになる。これで明らかなように、上級学校進学は男女合わせて三八%に達し、これに高等科卒業後に師範学校・中学校・商業学校・工業学校に進学するものを加えると、さらに高い割合になる。小学校卒業後ただちに就職するものは二三%強にすぎない。こうした区民の教育意欲は、当然学童の学力低下につながる二部授業解消への強い要求となってあらわれることになる。

第155表 品川区内市立小学校卒業児童状況(昭和九年度)
卒業人員 上級学校 高等小学校 就職
男子児童 1,618 (100) 611 (37.7) 725 (44.8) 282 (17.5)
女子児童 1,595 (100) 610 (38.2) 518 (32.5) 467 (29.3)
合計 3,213 (100) 1,221 (38.0) 1,243 (38.7) 749 (23.3)

『庁舎落成記念〔品川〕区勢概要』より作成

 (注)(1) 上級学校は男子は官公私立中学校・商業学校・工業学校,女子は官公私立高等女学校・実科高等女学校。
    (2)就職は他家商業・工業,自家見習,各種学校などを含む。

 品川区では、区制施行後昭和九年までに、二二教室を増築し、同年には小学校を一校新設した。しかし二部授業は完全に解消することができなかった。当時三木・第二日野・大井・山中・原・立会の六校三四クラスはなお二部授業を継続していたのであった。

 こうした状態を解決するため、昭和九年度に大井・大崎地区に各一校、昭和十年度には腐朽校舎の増改築三校、昭和十一年度には一校新築、一校増築を計画し、教育施設拡充のための努力が続けられたのであった。

 荏原区の場合、事態はより深刻であった。前にものべたように、関東大震災前までは三校でまにあっていたものが、震災後あいついで小学校を新設して、合併時には一〇校に達していた。それでもなお多くの小学校で二部授業が継続されていた。そのためさらに昭和九年には四校が新設開校され、昭和十二年、十五年にも各一校が新設された。その後十六年に学制上の大改革があり、今までの小学校は国民学校と改称されるようになるが、その時点でなお二部授業を完全に解消することができず、三校の新設が計画されたのであった。荏原区内の学童たちは震災以来十数年にも及ぶ間、二部授業に苦しまなければならなかったのである。