品川区内の道路について、昭和八年四月、品川区議会は府知事および府会議長宛提出の意見書で、つぎのようにのべている。
本区内に於ける交通は旧品川・大崎・大井の三町に於て各々其の中心を定め、計画施行せる関係上複雑多岐に亘り、本区役所を中心とする線路に乏しく、従って区役所への交通極めて不便にして、一度大崎町方面より往復せんか甚しき迂回となり、然らざれば数哩を徒歩に依らざるべからざるの状態に有之……。
(『庁舎落成記念区勢概要』)
これは当然であった。今までそれぞれ独立した自治区として、町ごとに道路計画をたててきたのであるから。そこで品川区会は府県道の下目黒品川線工事の促進と、省線大崎駅上の歩道橋完成の上は、市営乗合自動車による区内交通の便をよくするよう当局に強く働きかけた。
その他区内商店街の道路幅の狭いことも大きな問題となり、府・市への働きかけによる拡張工事が各所において行なわれた。この点は荏原区においても同様で、急速に宅地化した区内の道路は以前の農道がそのまま交通路となった。そのため曲りくねった、狭い道をはさんで小さい住宅が立ちならぶということで、道路拡張工事は区にとって大きな問題であった。
これらは単に交通不便ということだけでなく、火災その他非常災害防止のためにも、また保健衛生上からも早急に整備されなければならなかった。
なお区内の道路舗装状況は、つぎのようであった。
品川区は昭和九年で国・府・市道合わせて総延長一七万二四四一メートル、うち剛質舗装一万五二五五メートル、簡易舗装二万八三七六メートル、舗装率は二五・三%(面積で五三%)にすぎない。その他の道は砂利道であった。
荏原区の昭和十一年の府・市道の総延長は一一万六二一四メートルで舗装面積は全体の五九%、翌十二年には舗装面積は全体の六五%と増加している。当時府・市道とも主として簡易舗装ではあったが徐々に舗装され、側溝もつけられて泥道の解消がめざされつつあった様子がうかがわれる。