区政の施行と地方選挙

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満洲事変下の情勢のなかで、政争に明け暮れ、多くの腐敗を生んだ既成政党への国民の反撥は厳しいものとなっていった。それを口実の一つとした五・一五事件の直後の、昭和七年(一九三二)六月、荏原郡時代最後の東京府会議員選挙が行なわれた。荏原郡一五人の定員のうち、品川町を大票田として大橋清太郎(民政)、森茂(政友)相川常松(民政)が、荏原町を地盤に伊藤武七郎(民政)、鏑木小平次(政友)、正岡経利(民政)が、大井町を地盤として石原永明(政友)らが当選した。いっぽう無産派から立候補した高梨二男(社会大衆党)は、一、二一九票に止まり、二十一位で落選した。

 品川・荏原両区の誕生とともに、昭和七年(一九三二)十一月東京市市会議員選挙が行なわれた。この選挙による市議の任期が翌年三月までということもあって区民の関心は極めて低く、東京全体で、棄権率四六・八%にものぼった。しかし翌年三月の選挙における棄権率もやや減少したとはいえ、三九・八%にのぼった。この傾向は品川・荏原においても共通であった。これは両区区民の政治不信や、政治に対する無関心の一定の反映であり、都市での選挙の特徴を示していた。なお両区の当選者・次点者および得票数は上表の通りである。

第157表 市議選両区当選者・次点者表
昭和七年十一月 昭和八年三月
品川区 高木正年(民) 三、九八二 大橋清太郎(民) 三、二四八
石原永明(政) 二、九二三 石原永明(政) 三、〇八六
歌橋憲一(民) 二、六三六 中島勝五郎(民) 二、六八二
秋沢吉蔵(政) 二、一五二 松原伝吉(政) 二、五六六
仲沢芳朗(政) 二、二二三
庄司又三郎(民) 一、三二四
庄司又三郎(民) 一、七八五
荏原区 石井良太郎(民) 二、三四七 山口直(中) 三、〇一二
鏑木小平次(政) 一、九四六 伊藤武七郎(民) 二、四五四
伊藤武七郎(民) 一、八〇六 鏑木小平次(政) 二、二七九
 
山口直(中) 一、七七九 馬野由松(政) 二、〇二四

 

 いっぽう区の成立とともに行なわれた両区の区会議員選挙は、市議選に比べて関心も高く、棄権率も品川区一九・六%、荏原区二九・七%に止まった。品川区議会議員選挙においては、四〇名の定員中、旧品川・大井・大崎町会議員は二一名という過半を占め(資四五一~四号)、その分野は政友会二四、民政党一三、中立二、地方無産党一と政友会がその地盤の強さを示した。これに対して人口増が急激であった荏原区にあっては、旧町会議員の当選は、三六名の定員中わずか八名にしかすぎなかった。しかも品川とは逆にその分野は、民政一七、政友一六、国民同盟一、中立二と民政党が多数を制していた。そしてこの区議選においても無産派の不振は明らかであった。旧荏原町議会の四名、大井・大崎両町における三名は、わずかに品川区で一名を占めるだけに転落し、身近なところにも満洲事変は影をおとしていた。