犯罪や自殺の増加

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大正末期から昭和初期にかけての日本経済のじり貧状態を反映して、生活苦や自暴自棄から犯罪や自殺などが品川・大崎・大井から荏原の各地域でも増加し、自殺などは一種の流行現象さえ生じた。現品川区域の各警察署管内で起こった犯罪の合計件数は、大正十五年(一九二六)に四、〇五八件だったが、昭和恐慌のどん底の昭和七年(一九三二)には、八、三六八件と、約二倍以上にもなった。そのなかでもとくに著しく増加したのが窃盗(二、八〇三件から五、七二六件、二倍増)、詐欺・横領のたぐい(六七七件から一、五二三件、二・二倍)だった(品川区史資料編『地図統計集』一〇六~七ページ参照)。

 昭和七年の一年間だけでも、新聞沙汰になっためぼしい犯罪事件をひろうと、一月四日大井町鈴ケ森でタクシー強盗、二月八日荏原町でひったくり、三月二日荏原町戸越で強盗、四月十八日荏原黒竜会員脅迫で送局、四月二十四日品川帝国電気会計係員が横領、五月二十九日品川町浅間台で放火、六月二日ピストルと現金三百余円の窃盗、六月八日荏原町戸越テキ屋関東末広会三十余名乱闘、六月十六日大井町森前で万引、同月二十二日星製薬の贈・収賄、同日荏原町中延放火、同月二十九日北品川御殿山の会社重役夫人を殺害強盗、七月二十一日大崎町三業組合長ピストルで射殺される、十月二十三日上大崎で兄弟傷害事件、十一月八日大井北浜川にピストル強盗、十一月十二日市議会選挙違反、十二月六日北品川でタクシー強盗、十二月十九日強盗……といったぐあいであった。ピストル事件が多いのも、この年の血盟団事件や五・一五事件などと並んで一種の流行だったともいえよう。

 こうしたすさんだ世間に耐え切れず自ら死を急ぐ自殺の流行も、この当時の世相を示していた。同じく昭和七年の新聞で自殺事件を探すと、二月十三日夜七時大井町谷垂(やだれ)の呉服行商人夫妻が生活難からガス心中、三月四日大井町坂下の労働者(四十歳)が失業と貧困のヤケクソから三升の酒を飲み縊死、五月二日荏原町中延の二十一歳の女性が片瀬で投身自殺、六月一日三十歳位の女性が荏原中延で池上電鉄踏切に飛込自殺、七月六日双生児の二女(二歳)を絞殺、妻と山手線に飛込心中をはかった男が死に遅れ品川署に捕まる。さらに「警視庁統計書」でみると、自殺を図って警察に救護された者が大正十四年一一〇件、昭和七年には四十三件、自殺が六十二件から八十二件へとなっている。