昭和七年という年は市郡併合の発展の側面と並んで、こういった昭和恐慌のどん底だったという暗い側面が併存していた。市郡併合の前途が多難であることを象徴するように、この年の秋の台風は集中豪雨・浸水をもたらした。九月九日東京市郡に浸水一万戸の被害、大井町では立会川の沿岸家屋床下浸水三〇〇戸の出水騒ぎとなった。続いて十一月十四日には風速二一メートル、瞬間風速三五メートル、九二〇ミリバールの十三年振りの大型台風に見舞われ、大井二〇〇戸、品川八〇戸、荏原一七〇戸が浸水・停電・列車不通の被害となった。他方都市化・宅地化の進行で火事もひんぱんになった。とくに、交通事故は自動車交通の普及につれて増大していった。幼児の轢死はじめ、タクシーと市電、タクシーどうしの衝突、トラックの追突があいつぎ、すでに「交通地獄」の見出しのもとに新聞紙上にこれらの事故が報道されている。なかには昭和七年七月十四日北品川の市電終点付近で大井警察署長を乗せた車が通行人をはねるという事故さえ起こった(『東京朝日新聞』昭和七年三月十五日)。