品川区・荏原区を含む新市域共通の社会問題になっていたのがガス料金値下げ運動であった。
東京市のガス事業は、明治四十四年十一月二十五日、東京市長と東京瓦斯株式会社取締役との間で契約が成立して以来、東京ガスの独占的事業であった。
ところが、東京の膨脹によって郊外農村に住宅が急速にふえてくるとガス需要は、市域に限らず、郡部にも及ぶに至ったが、そのおり、東京ガスは敷設費のかかる割合に使用量が少ないことを理由に、市内より高い料金をとっていた。形式的にみても、市とのガス報償契約の範囲外でもあった。市郡併合に際して、東京ガスは、これまでの二本立て料金を、基本的にはそのまま東京市に認めさせようとした。すなわち旧市域は十熱位につき一円九九銭、新市域は二円一八銭とした。ただし、新市域の料金は最初の年、三銭下げ、昭和十七年十二月まで年々引下げて、旧市域との格差を漸次的になくしていこうというものであった。これに対して、当然、新しく東京市に編入された各区で、ガス料金値下げ運動がまき起こった。運動は東京市と東京ガスの双方に向けて行なわれ、各区会の議員を中心に、昭和八年新市域全区の瓦斯料金値下新地区連合会が結成されるに至った。第一次大戦による石炭価格騰貴を理由とするガス料金の全般的な値上げのあと、戦争終結による石炭価格下落後も料金の値下げは行なわれなかった。そのため、旧市域においても、たとえば昭和四年三月二十九日、日本大衆党選出の東京市会議員堺利彦や、社会民衆党選出の馬島〓・阿部温知・島中雄三・和田操・和久利幾之助らの無産市議団が、「瓦斯増資反対声明書」で、東京瓦斯会社の増資を非難し、五月十一日には、その不満を「全東京市民ニ檄ス」などの文書による民衆への宣伝活動によって、社会問題としてとりあげられた。
それが市郡併合による格差料金の引きのばしによって、品川区・荏原区などの新市域二〇区全域の区会レベルの運動として行なわれるに至ったといえる。世話役として品川区委員長中島勝五郎・荏原区委員長平沢忠七がそれぞれ名をつらねた。
昭和八年七月ガス料金値下げ新二十区連合会は、東京市長・東京市会議長に、料金格差是正の陳情書を提出した。いっぽう、東京市は落合助役が東京ガスと交渉して、昭和八年十二月、先の改定案は東京市会の財政常設委員会の諮問に付され、若干の修正をへてようやく、昭和十年三月市会に報告されるに至った。東京市会はただちに、ガス報償契約改訂案調査委員に次の二七名を選んだ。
東京市会瓦斯報償契約改訂案調査委員
一新会 (民政系)
森脇源三郎 (小石川区大塚上町二六) (大塚七四八)
○有竹雅巳 (浅草区花川戸町五一) (浅草九二三)
豊島茂一 (本郷区湯島天神町一ノ七) (下谷二九〇)
中塚栄次郎 (芝区白金三光町五六) (高輪七五〇一)
中村又一 (麻布区笄町八〇) (青山二三八)
○須田□治 (目黒区下目黒三ノ六六〇) (高輪一六三三)
○遠山丙市 (荒川区尾久町三ノ二三七) (下谷八二三六)
吉田直治 (蒲田区新宿町七六) (蒲田二〇一五)
中村梅吉 (豊島区西巣鴨町一ノ三四八) (大塚二一一二)
小針孫太郎 (淀橋区百人町三ノ二八五) (四谷四六九)
市政会 (政友系)
○小野利三郎 (下谷区金杉上町七六) (根岸八〇六)
島田辰太郎 (牛込区揚場町九) (牛込一六三八)
川手忠義 (芝区新橋六ノ一) (芝一七三二)
松崎権四郎 (浅草区千束町二ノ一二七) (根岸七七八)
○山口久太郎 (荒川区三河島町一ノ三〇一七) (下谷九四六)
鈴木義顕 (板橋区下赤塚二二九七) (練馬北町二四)
島田文治 (江戸川区小岩一ノ八三七) (小岩二)
政明会 (政友系)
川田友之 (渋谷区千駄ケ谷二ノ五四〇) (青山一七〇五)
辰野保 (渋谷区金王町一一) (青山二五五五)
委員長 田中源 (江戸川区字喜田町三八) (墨田三一一〇)
○仲沢芳郎 (品川区大井倉田町三二四一) (大森一八〇〇)
天野頼義 (荒川区日暮里町三ノ一三九) (下谷一六五一)
黎明会 (混合)
○黒田保次 (京橋区築地一ノ七) (京橋一七一六)
横瀬精一 (滝野川区中里町三八四) (小石川四三三五)
中島勝五郎 (品川区南品川四ノ五八一) (高輪三二二三)
新生会 (中立)
山口直 (荏原区小山町二七〇) (高輪三六九四)
第一控室 (無所属)
糟谷磯平 (本所区向島一ノ一二) (墨田六七三)
計 二十七名
○印は理事( )内引用者注
これらの各党派の代表的見解は、たとえば
鈴木堅次郎氏(一新会)案
一、旧市域ノ既得権ヲ侵害セサルコト
二、新市域ノ料金ヲ即時旧市域並ニ値下スルコト
三、新市域ノ報償金ハ道路占用料ノ査定ヲ基準トシ新契約期間ヲ昭和十六年十一月二十四日迄トスルコト
市政会案
一、旧市域ノ既得権ヲ侵害セサルコト
二、新市域ノ料金ヲ即時十銭次年三銭爾後三年間ニ十銭宛値下スルコト
三、道路占用料ハ報償金トシテ昭和十六年十一月二十四日迄年額六十二万円程度ヲ納付セシムルコト
四、新市域ノ瓦斯普及ヲ図ルコト
五、其他ハ既存ノ報償契約ニ基クコト
黒田保次氏(黎明会)案
一、計量器使用料ヲ撤廃スルコト
政明会案
一、瓦斯料金ハ十熱位ニ付旧市域ヲ二銭新市域ヲ五銭値下シ爾後逓次減額シテ新旧同額トスルコト
二、瓦斯未設方面ヘ速ニ普及セシムルコト
三、契約期間ノ二十五年ハ長キニ失スルヲ以テ会社トノ交渉ニ当リテハ之カ短縮ヲ期セラレタシ
ところが、二〇区のなかでも、品川区はガス需要量も旧市域の区なみに多く、年々増加の割合も高かったため、昭和十年五月三日、品川区役所委員会室で行なわれた値下げ委員会では、品川区は他の一九区とはなれて、旧市内なみ料金をとってはどうかという意見も出たくらいだった。品川区と他の区の違いは、むしろ品川区がガス料金値下げに関しては、もっとも強く主張できる条件をもっていたともいえる。事実、しばしば、こうした討論を重ねるなかで、瓦斯料金値下げ各区連合委員会は、昭和十年三月二十九日、東京瓦斯株式会社社長井坂孝に対し、要旨次のような料金値下げの要請を行なった。新市域二〇区の各区会では、貴社独占のガス料金を、旧市域と同一率にすべきだという決議をし、それを実現するために、各区会でガス料金値下げ実行委員をもうけて、新二〇区の連合会を結成、東京市理事者に再三にわたって陳情してきた。東京市も、主張を受け入れ、東京市と東京ガス会社間に、ガス報償契約改訂案が締結されるに至った。……新市域と旧市域と差別待遇をするのは、市郡併合の目的に反し、行政上大きな問題であって……公益事業・独占事業の性質から、新市域三五〇万住民のうらみを残さないよう、政治的解決を一日も早くするよう要求する旨申し入れをした。
ところで、市郡合併の結果、昭和九年十二月に仮調印された報償契約改訂案の内容とは、新旧市域の差額一九銭のうち、三銭をただちに値下げし、残る一六銭を七年間に値下げして、旧市なみにするというものであった。
東京ガスが、市郡併合後二年もたって重い腰をあげたのは、東京市が市郡合併と同時に道路占用料規定を設定して、旧市域では従来の三倍の道路占用料を要求できるようになったため、報償契約改訂で、占用料引き上げを回避しようとしたためでもあったといわれている(茅野朗々著『瓦斯問題早わかり』一四~五ページ)。
たとえば昭和十年二月四日の二〇区連合会の会議では「瓦斯料金が新旧両区に於テ値幅アルハ不当」である。したがって、その不平等を是正することが、原則的な課題であることが確認された上で、その格差をガス会社が七年くらいの間で漸次解消してゆくという方針であったのに対して、その年限をなるべく短かくしようとする方向にまとまった。
委員会は議論を重ねたが、一向にらちがあかなかった。
これをみたガス料金値下げ二〇区連合会は、各区委員長会を約一〇回にわたって招集し、市民の世論喚起を行なういっぽう、市理事者・市会議員の戸別訪問、陳情などをくりひろげた。
昭和十一年五月市会のガス委員会の委員長に、山口久太郎が田中源に代わった。いぜんとして委員会全員の意見一致をみないまま、修正案を市会に提出、ガス料金に限れば、当面の料金格差はそのまま認め、格差是正を即時一〇銭、以後一年四ヵ月内に九銭値下げするというものであった。この山口案が昭和十一年十一月、最終的な妥協点となった。こうしてガス料金値下げ運動はいちおう落着した。昭和のはじめ無産運動の一環としてとりあげられた問題が、このように一面では一般化しながら、無産運動レベルでは結実しなかった。これは、無産運動の弾圧という要因とともに、この当時の無産運動が、いま一歩大衆化できなかった現実を示す一つの事実であったともいえよう。