(イ) 昭和十一年の東京府会選挙

702 ~ 702

昭和十一年六月行なわれた東京府会選挙においても、戒厳令のさなかにもかかわらず社会大衆党は二三名中一八名を、また加藤勘十を中心に結成された労農無産協議会も六名中四名を当選させた。品川区においては、民政党の大橋清太郎・中島勝五郎および政友会の森茂らに伍して、社会大衆党の植田重義は三、六五八票を獲得して当選した。また荏原区においても、労農無産協議会の安平鹿一は、鏑木小平次(政友)、平沢忠七(民政)とともに、二位で当選した。しかもその当選は現職議員を破り、社会大衆党の飯田五平と争って三、五〇〇票余りを獲得したものであった。既成政党の地盤の比較的堅い地方議会選挙において、加藤・麻生のような無産派の著名人が立候補せずに、相当数の票が無産派に集まったという点は、無産派進出気運の強さを物語っていよう。