切符制配給

724 ~ 726

インフレの原因は需給関係の不均衡にありとし、切符による配給が考え出された。東京市における配給制の実施は、昭和十五年六月の砂糖(一カ月半斤)とマッチ(一日五本)から開始された。昭和十七年二月の衣料品の点数切符制まで別表のような三五種類の品目が切符制配給とされた。


第141図 衣料切符

 この切符制配給は昭和十六年九月一日から集成切符となり、砂糖は一ヵ月〇・六斤、マッチは六人家族で九月から十二月まで並型一包、徳用小型一個、二月分は並型一包であった。七人から一〇人の家族では、十二月までは六人家族の場合と同じで、一、二月分として徳用大型一個という配給内容であった。

第191表 東京市における35品目の配給実施状況
品名 実施年月 品名 実施年月
砂糖 昭和15年6月 家庭用ビール 昭和16年5月
マッチ 6  家庭用食用酒 6 
水泳用パンツ 7  綿毛布 6 
出生児用綿製品 8  馬鈴薯 7 
家庭用手拭 10  家庭用豆類 7 
地下足袋 10  出産用綿およびガーゼ 7 
木綿絣 10  特殊需用者用パンおよび小麦粉 7 
木炭 10  学童用体練パンツ 8 
育児用乳製品 11  家庭用鶏卵 10 
正月用糯米 12  魚類 11 
男子小学生服 昭和16年1月 甘藷 12 
飲用牛乳 2  家庭用菓子 12 
家庭用タオル 2  正月用塩鮭鱒 12 
小学生用靴下 3  正月用肉 12 
家庭用綿 3  昭和17年1月
米穀 4  味噌醤油 1 
家庭用小麦粉 4  衣料品 2 
家庭用清酒 5 

 

 また昭和十五年十月には「木炭配給統制規則」が公布され、その後の需給事情の悪化によって十八年五月からは「薪炭配給統制規則」が制定された。こうして木炭・マキ・タキギは生産から配給まで、政府の買入れによる一貫した統制が実施された。

 生活必需品が、しだいに、すべて配給制度へ切り換えられるにつれて、区民の間では一方で買えるものは何でも買っておこうとする買溜めが流行するようになった。しかし、これも、ごく一部のことで、大勢は物資不足から、やむをえずたった一個の石鹸を手にするため、辛抱強く長い列の後にならんだ。次にあげる文章は、当時の事情を伝えるものである。

 「このあいだ、大井町に下車して半町もゆくと、何百人ともしれぬ行列がありました。その行列にそって歩いていると、○○石鹸商事で列が終わっているのです。ここは以前から四の日が特別売り出し日で、私どももときどき店をのぞいたものでしたが、こんなひどい行列なんかはじめて見たのでした。やっぱりその日も四の日であったからだとわかって、つぎの四の日は少し早目にいってみると、行列どころか一人も立っていないのです。しかし店はしまっていないのでようすをみましたところ、『隣組を通じて販売いたします』と掲示していました。交通整理のために行列を禁止したのかと思っていると、そのうち『石鹸配給所』の貼紙をみるようになり、石鹸だけはあざやかに行列が解消せられていることがわかったのですが、行列征伐もこんなきれいな成功ははじめてみました。切符制で配給統制をやればなんでもこのとおりになるのでしょうがねえ。」(辻本与次郎『隣組一年の記』昭和十七年)