米の通帳割当制

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切符制配給の頂点として昭和十六年四月からは、米の通帳割当配給制が実施された。通帳配給制は栄養の大半を主食にたよっていた区民に、はじめて経験する割当配給にとまどいと食糧難を痛感させた。

 昭和十六年(一九四一)十二月の日米開戦以後、食糧事情は益々悪化し、イモ・パン・めん類が代用食として配給されるようになった。一般家庭では、主食の確保におわれる毎日となり、飲食店・そば屋での行列は日常茶飯事となった。

 昭和十七年十月には「東京府食糧営団」が設立され、主食の配給機構が整備された。しかし戦局の悪化とともに食糧難はますます進み、食糧難の消極的な対策として玄米食の普及が計られ、昭和十八年一月から一般家庭には希望により、業務用には強制的に玄米が配給された。二月からは米のつき上がりを七分づきから二分づきにして、供給量の消極的増加が計られたが、朝鮮の大凶作、南方への軍事的進出による、南方米の輸送力の低下などが重なって、主食の確保は不可能となった。

 米の絶対量の不足と外米の輸入の低下は、配給制そのものを無力化するものであり、頻発する統制強化は、ますます区民に重くのしかかり「ヤミ」への依存度は高くなるばかりであった。