昭和十年、鮫洲先の新埋立地の一画約一万坪の敷地に東京府立電機工業学校が創立される。当時軍需産業の興隆にともない、電機関係の技術者養成が急務であった時期でもあり、府がこの電気工業の盛んな品川の地に、新校を建設したのも当を得たものといえよう。その後、この学校は昭和十五年に府立高等工業学校を設け、中等実業学校から専門学校へと計八年間の工業技術教育を施すことを目途とするものであった。戦後この学校を母体にして、都立大学工学部・都立工科短期大学ならびに都立工業高等専門学校が生まれたのであるが、現在は工業高専がこの敷地を使用し、その伝統を伝えている。
また昭和九年、第八高女が埋立地の新校舎に移転した跡地、南品川浅間台の旧校舎を利用して府立聾唖学校が設立されたが、これが今日の都立品川ろう学校の前身である。