敗戦を契機として、社会全体の構造が大きな変化をとげたが、それにともなって、区の財政も大きく変化させられた。都制施行以後、完全な行政区であったものが、戦後の民主化により自治区としての品川区・荏原区に変容していった。
敗戦直後の混乱状態ならびに、その後、どのように区財政を確立していったかについて戦時中から昭和三十年前後までの区財政の歩みを概観してみよう。
都制施行以降、戦後の地方自治法による特別区の成立後も一貫して、区の財政は都知事の委任事項の「都経済」と、区独自の事務・事業の「区経済」の二本建てであった。だから、区財政の変遷を把握するには、「都経済」との関連でみる必要があるが、ここではさしあたり「区経済」に限って考察をすすめる。昭和十八年の都制施行から昭和三十年前後までの時期区分を試みると次のようになる。
第一期は、昭和十八年七月の東京都制の施行から、二十年八月十五日の敗戦を経て、二十二年四月、公選区長下の区財政が成立する前までの品川区・荏原区財政の過渡期ともいえる時期であった。
第二期は、昭和二十二年五月、第一期公選区長就任以から二十五年会計年度終了までの期間で、第一期鏑木忠正区政の時期である。この期は、品川区と荏原区が合併して、区財政が自治区としての体裁を整えはじめ、二十二、二十三年度のインフレ下の困難な時期を乗り切って、二十四、二十五年度と区財政を軌道に乗せた。区財政の成立期ともいえる時期である。
第三期は、鏑木区政の第二期目にあたる昭和二十六年から二十九年度までの時期にあたり、区政が復旧から建設にむかって安定した時期で、区財政の発展期といえる。
以上の時期区分に従って、高度経済成長が開始される前の昭和二十年代の品川区の財政の実態を考察することにしたい。