過渡期の区財政

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昭和十七年度までの品川・荏原両区の区財政については、両区成立後の区財政の章で概観した。昭和十八年度から昭和二十一年度の品川区の財政内容を示すと第197表の通りである。荏原区については戦災等によって資料がほとんど完全に散逸しているため全く内容が分らない。そのような限界はあるが、品川区を中心に品川・荏原両区の合併による品川区成立前の財政について簡単にみてみよう。

第197表 戦時から戦後へかけての品川区財政の推移

(昭和18年~21年,昭和15年参考)

年度 昭和15年 昭和18年 昭和19年 昭和20年 昭和21年
歳入 財産ヨリ生ズル収入 2,098 1,093 1,026 1,064 0
使用料並ニ手数料 40,191 3,238 2,394 241
市補助金 172,077
寄付金 8,445
繰越金 47,599 17,565 25,769 28,668
雑収入 13,762 5,548 7,513 1,171 0
区ニ属スル市税 0
交付金 643,588 58,948 57,025 62,948 156,759
繰入金 6,700
合計 929,118 68,828 85,523 91,195 185,427
歳出 神社費 295 205 205 125
会議費 27,854 6,324 6,711 8,139 75,916
教育関係費(小学校費その他) 274,807
事務費 107,048
選挙費 4,069 56,245
財産管理費 0 4,182 3,481 1,390 3,728
罹災救助費 1,039
雑支出 6,493 18,034
諸費 0 22,166 30,947 32,614
その他 19,753 27,190 21,925 12,110
合計 461,363 28,747 59,754 62,527 180,614

 

 昭和十八年以降、区の行政機構は官選区長のもとに官吏中心主義に再編され、区は独自の課税権・立法権を一切もたない下級行政組織になったから、昭和十八・十九年度の決算は、昭和十五年度の最盛期に比べると一〇パーセントにもみたない貧弱きわまりないものとなった。

 敗戦後の二十年度も、財政の中心は戦時事業の跡始末と、戦災の復旧事業にあったから、財源的には都に依存し、いわば戦時中からの継続状態であった。しかし、昭和二十一年九月二十七日には、「東京都制の一部改正法」が公布され、行政区から自治区への移行が始まった。すなわち、この法令によって、区長の権限と区議会の権限が拡大され、さらに区の条令制定権も認められた。また、この条令によって区は独自の財政的権能が認められ、念願の課税権・起債権を獲得した。こうして法制上は自治区としての体裁を整えたが、財政の実態は昭和二十一年度においてもまだ行政区を一歩も脱皮していなかった。

 翌昭和二十二年の「地方自治法」公布によって都下二十三区は特別区として独立し、一般の市と同等の権利をはじめてもち、ここにはじめて自治区が成立したのである。旧品川区と旧荏原区が合併し、新品川区が誕生したのもこの時である。

 しかも、敗戦直後の経済混乱から生じたすさまじいインフレーションのために、当初予算だけでは執行できず、次次に追加予算を組まねば、インフレーションや職員の給与値上げ攻勢に応じることができないありさまだった。たとえば、昭和二十三年度歳出当初予算は三、五〇〇万円だったが、五回にわたる追加予算で、年度末には一億四、四〇〇万円と四倍にもふくれあがったほどである。