立正佼成会は庭野日敬(にっきょう)と長沼妙佼(みょうこう)の二人が、昭和十三年に創始した教団である。はじめ庭野宅を本部として布教活動を始め、昭和十五年には五支部五〇〇世帯に伸びた。昭和十七年に杉並区に本部を新設し、以後ここを拠点として布教が行なわれ、昭和二十年には会員数一、三〇〇世帯に達した。
戦後の人心の動揺した時期に、立正佼成会は多くの入信者を得て急激に会員数が増加し、当初関東地方に限られていた信者の分布が中部・関西・東北地方に伸びて各地に支部が設置された。昭和三十二年創立者の一人で、当時副会長であった長沼妙佼が死去し、昭和三十五年それまでの名称立正交成会を立正佼成会と改称した。現在全国を一一の教区に分け、一七四教会を置き、会員数四〇〇万人と称している。立正佼成会は法華経を所依の教典とし、釈迦を久遠実成の本仏として敬い、法華経の教えを守ることを第一義としている。そして闘争を避け、従来の仏教はむしろ手厚く敬うという方針をとっており、先祖の供養を行なうことを重要視している。
立成佼成会の品川区の区域における動きを見てみると、品川区には終戦直後五〇〇人くらいの信者がいたといわれている。当時としては品川区は会員数の多い地域であったようである。その後どの程度の成長ぶりがあったかは明らかでない。それは昭和三十年までは、入信した者は紹介者の所属する支部に加入する仕組みであったので、このころ全国に七五くらいの支部があったが、各支部に所属する会員の住所は一つの区域に限定されていたわけではなく、全国的に交錯していたので、区内居住の会員の数を把握することは不可能であった。そしてその活動も一区域に限られているわけではなかった。
昭和三十年に従来のタテ線組織からヨコ線組織への切替えが行なわれ、地区別ブロック制に変わった。このとき品川支部には約三、〇〇〇世帯の会員が所属したといわれている。会員数の増加に伴って品川支部はのちに品川教会となって、支部長は教会長となり、その下部組織であった法座(ほうざ)と呼ばれる組織は支部となった。第×法座は地名を冠した支部となり、法座主任は支部長となった。現在立正佼成会の品川区内における組織は、区の全域を品川教会が統括し、これが東京都全域を統括する東京教区に所属している。区内には品川・西品川・大崎・五反田・大井第一・大井第二・荏原第一・荏原第二・中延・戸越の一〇支部があり、各支部の下部組織として地区があり、地区主任がこれを統括している。たとえば大井第一支部は大井地区と南大井地区に分けられている。現在品川区内の会員数はおおよそ八、〇〇〇世帯から九、〇〇〇世帯といわれている。