大乗教

810 ~ 811

戦後品川区内に本拠を置いて多くの信徒を擁した宗教団体に大乗教がある。

大乗教は岐阜県の人杉山辰子が、大正三年(一九一四)に名古屋市東区に、その前身仏教感化救済会を設立したことに始まる。教祖杉山辰子は昭和七年に没したが、会の創立直後に入信した小坂井啓陽はその活動をたすけ、主として関東地方の布教に従事した。

 大乗教の教義は、日蓮自身を特に重要視していないが、日蓮の思想に基づいており、法華経を最高の経典とし、釈迦と上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩を本尊とし、安立行菩薩の使命である一切衆生に、互に救う心を持たせることを最終的な要点とするもので、既成仏教を否定する在家仏教である。そして教祖杉山辰子を安立行菩薩の再来としている。

 小坂井啓陽は大正十年ころ(一九二一)東京の五反田に教会を設立し、昭和七年に小山に教会を移し、ついで戸越に移り、昭和九年平塚(旗の台二丁目)に移って、以来同所を拠点として布教活動を行なった。

 戦後、宗教団体に関する規制が解かれたので、昭和二十一年大乗教と改称して一派を設立し、小坂井啓陽は大乗教管長に就任し、旗の台二丁目に置かれた関東教会長を兼ねた。このとき大乗教の本部は名古屋市熱田区にあったが、管長の啓陽は品川区内にあって布教活動を行ない、名古屋地方は総務長杉崎法山が中心となって布教が行なわれた。戦後信者の数は急激にふえ、その主力は中部・近畿地方であったが、啓陽の尽力で関東地方にも信者が増加し、その数は品川区内に多く、とくに荏原地区に多かった。