以上の三教団のほかPL教団・霊友会・生長の家などが戦後急速に組織を拡張し、多数の信者を擁しているが、本区ではPL教団の信者が漸次増加していたようで、この教団ものちに区内に荏原支部を設け、荏原教会を設置している。
昭和二十一年、木曽御獄の信仰団体である御嶽講を糾合した木曽御嶽本教が結成された。明治初年に、各地の御嶽講を統合して設立された教団に御嶽教があるが、御嶽講のなかには御嶽教以外の教派神道に属しているものも数多くあった。
木曽御嶽本教はこれを一本化しようとしたのである。この木曽御嶽本教の所属教会も区内に設立された。それは従来神道大成教に加わっていた御嶽講で、南品川とその周辺に信徒を擁していた日乃本講(ひのもとこう)がその母体であって、その講元であった梅田長助は昭和二十七年(一九五二)この講を率いて木曽御嶽本教に転じ、同教傘下の東京日乃本教会を設立し、積極的に布教活動を行ない、多くの信徒を擁し、その後漸次五つの支教会を分立させている。