昭和二十年八月十五日の太平洋戦争の敗戦の日を区内の国民学校の学童たちの大部分は、集団疎開先で迎えた。日本にたいするアメリカ軍の空襲がはげしくなった昭和十九年に入ると都内の国民学校では空襲から子どもたちを守るために集団疎開を行なうことになった。縁故疎開を除いて大部分の学童は、両親のもとをはなれて、先生や友達とともに集団疎開をした。品川区・荏原区の場合は西多摩郡・南多摩郡また、静岡県や遠くは富山県や青森県まで集団疎開したものもあった。はじめは三年生以上が対象であったが、昭和二十年に入って空襲がますます激しくなるにしたがって一年生や二年生までも親もとをはなれて集団疎開していった。
中学生や女学生たちは疎開どころではなかったし、まして勉強どころではなかった。かれらが敗戦の日を迎えたのは勤労動員されて働いていた工場や農村などであった。この日まで国民の大部分は戦争に勝つことを信じて、戦争協力一すじに邁進してきた。食糧をはじめとするあらゆる生活必需品の極端な不足に耐え、苦しい労働に汗水流してきたのも戦争に勝つまでの辛抱と決死の思いで耐え忍んできた。
それだけに八月十五日ラジオから流れた天皇陛下の玉音放送はまさに区民にとって青天の霹靂であった。
戦争が終わってまず疎開児童の帰京が行なわれることになったが、帰っていく東京が食糧難・住宅難で、家庭の受けいれ態勢はきびしいものであった。しかし家庭のあるこどもはまだよい方で、戦災で両親を失って帰るべき家庭のない気の毒な子どもも少なくなかった。子どもたちの親としては、一日も早く子どもを手もとに引きとりたいものの、食糧事情は思うようにいかないこともあった。東京への引揚げは九月中旬からはじまって、なかには翌年の三月まで疎開地に止まらなければならない子どもたちもあった。
東京へ帰ってきても戦災で家が焼けてしまった子どもも多く、とくに品川・荏原区は、二十年の五月二十四日に山手を中心に行なわれた空襲で大きな被害をうけた。この日の空襲では学校も半分以上が戦災をうけた。
こうした校舎や教材不足といった物質的欠乏とともに、戦後教育の再興にあたっての大きな問題は教育内容の確立であった。戦時中の教育ばかりでなく社会のすみずみまで支配していた軍国主義思想がまったくくずれ去ったとき、教育は何を教えるのか、教育者のよりどころがあらためて問いなおされねばならなくなったのである。といってもじっくり考えなおす余裕が与えられたわけでもなく、子どもたちは疎開地からぞくぞく帰京するし、校舎や教材などはないないずくし、またアメリカ進駐軍による上からの教育民主化政策が次々と行なわれるといった状態で、まさに敗戦直後の教育界は混乱を極めた。
教育から軍国主義思想を排除するために、国史・地理・修身の教科が廃止され、教科書は回収された(昭和二十一年一月十一日)。その他の教科でも軍国主義的なものはとりやめることになった。体操でも、「歩調ヲトリテ歩ク」、「軍艦遊び」、「ヘイタイゴッコ」、「軍かん」、「兵たいさん」、「魚形水雷」などは廃止された。国語は、次の表のように修正・削除された。修正や削除するところは墨をぬらされた。子どもたちはほうぼうを墨で黒く消された教科書で勉強した。
書名 | 巻 | 課名 | 頁 | 行 | 削除並びに修正箇所 | ||
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原文 | 修正文 | ||||||
ヨミカタ | 二 | 三 | ウサギトカメ | 一五 | 六 | カメ「バンザイ」 | カメ「ウサギサン」 |
一六 | 兵タイゴッコ | 五八 | 全文 | 削除 | |||
一八 | シャシン | 七七 | 六 | センチ・ニイサン | ニイサン | ||
七九~ | ゲンキデオクニノタメニ | ゲンキデシッカリ | |||||
八〇 | シッカリハタラケト | ハタラケト | |||||
よみかた | 四 | 三 | 海軍のにいさん | 一三 | 全文 | 削除 | |
四 | 乗合自動車 | 二四 | 三-六 | 出征する孫が………… | 〃 | ||
行くところなんですよ | |||||||
五 | 菊の花 | 二六 | 全文 | 〃 | |||
一一 | 鏡 | 五七 | 「おかあさん」 | 削除 | |||
一二 | 神だな | 六一 | 全文 | 〃 | |||
一三 | にいさんの入営 | 七二 | 〃 | 〃 | |||
二〇 | 金しくんしょう | 九八 | 〃 | 〃 | |||
二一 | 病院の兵たいさん | 一〇〇 | 〃 | 〃 | |||
二二 | 支那の子ども | 一〇四 | 〃 | 〃 | |||
初等科国語 | 二 | 一 | 神の劔 | 八 | 三-四 | 勇ましくふるひ立って大和へ進軍しました | 勇ましく大和へ進みました |
三 | 祭に招く | 一四 | 全文 | 削除 | |||
四 | 村祭 | 一八 | 〃 | 〃 | |||
五 | 田道間守 | 二〇 | 〃 | 取扱注意(今は可 天皇制の問題は考慮す) | |||
六 | みかん | 二八 | 九 | 遠い支那へも満洲へも | 遠いところへも | ||
七 | 潜水鑑 | 二九 | 全文 | 削除 | |||
八 | 南洋 | 三五 | 〃 | 〃 | |||
九 | 映画 | 四九 | 三 | 何十台の戦車が通る | 何十台の自動車が通る | ||
六 | 何万トンのほら軍艦だ | 何万トンのほら貨物船だ | |||||
一四 | 軍旗 | 七六 | 全文 | 削除 | |||
一五 | ゐもん袋 | 七九 | 〃 | 〃 | |||
一六 | 雪合戦 | 八八 | 〃 | 〃 | |||
二一 | 三勇士 | 一一六 | 〃 | 〃 | |||
二四 | 東京 | 一三〇 | 〃 | 〃 | |||
初等科国語 | 四 | 一 | 船は帆船よ | 四 | 〃 | 〃 | |
三 | バナナ | 一八 | 二-三 | 台湾から……いつもバナナを積んでゐます | 〃 | ||
一八 | 七-九 | 北海道や樺太は……みんなを喜ばしてゐます | 削除 | ||||
四 | 大連から | 一九 | 全文 | 〃 | |||
五 | 観艦式 | 二六 | 〃 | 〃 | |||
六 | くりから谷 | 二九 | 〃 | 〃 | |||
七 | ひよどり越 | 三一 | 〃 | 〃 | |||
八 | 万寿姫 | 三四 | 〃 | 〃 | |||
一〇 | グライダー「日本号」 | 四六 | 〃 | 〃 | |||
一一 | 大演習 | 五六 | 〃 | 〃 | |||
一二 | 小さな伝令使 | 六四 | 〃 | 〃 | |||
一四 | 扇の的 | 七一 | 〃 | 〃 | |||
一五 | 弓流し | 七四 | 〃 | 〃 | |||
一七 | 広瀬中佐 | 八六 | 〃 | 〃 | |||
一八 | 大阪 | 八八 | 〃 | 〃 | |||
一九 | 大砲のできるまで | 九六 | 〃 | 〃 | |||
二一 | 水族館 | 一一四 | 一〇 | 軽快な戦闘機といったやうすです | 〃 | ||
二二 | 母の日 | 一二四 | 五 | 私は国語の「万寿姫」をよんだ | 私は国語の「水族館」をよんだ | ||
二三 | 防空監視哨 | 一二七 | 全文 | 削除 | |||
二四 | 早春の満洲 | 一三一 | 〃 | 〃 | |||
初等科国語 | 六 | 一 | 明治神宮 | 四 | 〃 | 〃 | |
二 | 水兵の母 | 九 | 〃 | 〃 | |||
三 | 姿なき入城 | 一五 | 全文 | 削除 | |||
五 | 朝鮮のゐなか | 二六 | 〃 | 〃 | |||
八 | 初冬二題 | 四九 | 九 | 今は部隊長になって | 今は転任して | ||
五〇 | 一 | 戦地へ行っているをぢさん | 遠くへ行ってしまったをじさん | ||||
九 | 十二月八日 | 五二 | 全文 | 削除 | |||
一〇 | 不沈艦の最期 | 五八 | 〃 | 〃 | |||
一一 | 世界一の織機 | 七三 | 題名 世界一の織機 | 豊田佐吉ト改ム | |||
八〇~ | 二~ | 明治三十八年は…… | 削除 | ||||
八二 | 三 | かれの上にかがやいた | |||||
一二 | 水師営 | 八二 | 全文 | 〃 | |||
一三 | 元日や | 九八 | 十三「元日や」の題名 | 「頂一ツ」ト改ム | |||
九八 | 一 | 元日や一系の天子不二の山 鳴雪 | 削除 | ||||
一四 | 源氏と平家 | 九九 | 全文 | 〃 | |||
一五 | 漢字の音と訓 | 一一五 | 七~八 | 「宮城」「神宮」「宮内省」の宮は「きゅう」「ぐう」「く」などのいろいろの音で続みます | 「宮殿」「龍宮」の宮は「きゅう」「ぐう」などいろいろの音で読みます | ||
一七 | ぼうばらの芽 | 一二七 | 九~一〇 | 国こぞり心ひとつにふるひ立つ民々の歌一首 | 削除 | ||
一八 | 敵前上陸 | 一二八 | 全文 | 〃 | |||
一九 | 病院船 | 一三四 | 〃 | 〃 | |||
二〇 | ひとさしの舞 | 一四二 | 〃 | 〃 | |||
初等科国語 | 八 | 一 | 玉のひびき | 四 | 六~八 | 大正天皇御製 | 〃 |
としどしにわが日の本のさかゆくもいそしむ民のあればなりけり | |||||||
五 | 三-五 | 明治天皇御製 | 削除 | ||||
いにしへのふみ見るたびに思ふかなおのがをさむる国はいかにと | |||||||
六 | 七-九 | 広前に玉串とりてうねび山たかきみいつをあふぐ今日かな | 〃 | ||||
大宮の火桶のもとに寒き夜に御軍人は霜やふむらむ | |||||||
二 | 山の生活二題 | 七 | 五 | 集合した職員は東京へ向いて整列する。鉄かぶとに似た帽子をかぶり…… | 集合した職員は鉄かぶとに似た帽子をかぶり…… | ||
八 | 厳かな国民儀礼を行ったのちいっせいに体操をする | 坑道へはいる前にみんないっせい体操をする | |||||
八-九 | 九-一 | 坑口には大きな神棚があって……心から祈る | 削除 | ||||
一〇 | 六-七 | 弾丸になり…この鉱石の中に眠っているのだ | 削除 | ||||
八 | 日本を守ってくれる宝が | 日本をゆたかにする宝が | |||||
一三 | 四-六 | なれないどころか…なほ足りないやうな気がする | 削除 | ||||
三 | ダバオへ | 二〇 | 全文 | 〃 | |||
六 | 万葉集 | 三九~ | 一三 | 今を去る千二百年の昔…国民的 | 〃 | ||
四二 | 感激に満ちあふれたものが多い | ||||||
四二 | 四 | 有名な歌人柿本人麻呂や山部赤人の作もまた万葉集によって伝へられている | 有名な歌人柿本人麻呂や山部赤人の作は万葉集によって伝えられている | ||||
一〇 | 鎌倉 | 七四 | 全文 | 削除 | |||
一二 | 菊水の流れ | 八八 | 〃 | 〃 | |||
一三 | マライを進む | 一〇一 | 〃 | 〃 | |||
一四 | 静寛院宮 | 一一四 | 八以下 | 小題五以下全文 | 〃 | ||
一五 | シンガポール陥落の夜 | 一一六 | 全文 | 〃 | |||
一六 | もののふの情 | 一一九 | 〃 | 〃 | |||
二〇 | 国語の力 | 一四四 | 五-八 | わが国は神代このかた万世一系の…現在に及んでいる。だから | 〃 | ||
二一 | 太平洋 | 一四六 | 全文 | 〃 |
(資料「連合軍教育指令綴」昭和二十三年品川区役所学務課)
戦争中軍国主義教育の指針とされた教育勅語も次のような文部次官の通達で学校から追放されることになった。
一、教育勅語を以て我が国教育の唯一の淵源をなす従来の考へ方を去って、これと共に教育の淵源を広く古今東西の倫理、哲学、宗教等にも求むる態度を採るべきこと。
一、式日等に於て従来教育勅語を奉読することを慣例としたが今後は之を読まないことにすること。
一、勅語及詔書の謄本等は今後も引続き学校に於て保管すべきものであるが、その保管及奉読に当っては之を神格化するやうな取扱をしないこと。
二宮金次郎の像とともにどこの国民学校にもあった御真影奉安殿も撤去されることになった。
一、校舎の外にある御真影奉安殿は神社様式をもつか否かの区別なく教育上の考慮を十分払ひつつすべて撤去すること。撤去が非常に困難なものはできるかぎり原形を止めないやうにすること。
二、校舎の内にあるものについては撤去できるものは撤去し、撤去が困難で而も金庫・倉庫等の他の目的に使用することが適当であるものに限り残存せしめ、その目的に使用すること。
三、以上の措置の結果は都長官に報告すること。
この件について品川区は次のように報告している。
御真影奉安殿措置報告書 品川区
一、校舎外ニアルモノ ナシ
二、校舎内ニアルモノ
奉安殿の総数 | 措置ニ要スル経費ノ単価 | 総経費(概算) | |
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撤去スルモノ | ナシ | ナシ | ナシ |
他ノ目的ニ使用スルモノ | 十三 | 五仟弐百七拾円 | 五仟弐百七拾円也 |
七校罹災ノ為メ原形ヲトドメズ
連合国総司令部からの次のような指示のもとに軍国主義者も追放された。
(公職ヨリ好マシカラサル職員除去方ニ関スル件)
一、「ポツダム」宣言ニ左ノ文言アリ「我等ハ無責任ナル軍国主義者ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」
二、「ポツダム」宣言ノ右規定ヲ実行スル為茲ニ日本政府ニ対シ左ニ掲グル一切ノ者ヲ公職ヨリ除去シ官庁ノ職務ヨリ排除スベキコトヲ命ズ
A、軍国主義的国家主義及侵略ノ活発ナル主唱者
B、一切ノ日本ノ極端ナル国家主義的暴力主義的又ハ秘密愛国団体、其関係機関又ハ関係団体ノ有力分子
C、大政翼賛会、翼賛政治会又ハ大日本政治会ノ活動ニ於ケル有力分子 (以下略)