このようにして、昭和三十年代のはじまりとともに、区民生活は戦後との訣別を果たし、「神武景気」から「高天原景気」へと続く経済的好況下に、繁栄と太平の基礎を築き、「なべ底不況」(昭和三十二年下期~三十三年下期)を切り抜けて、いわゆる「岩戸景気」を迎え、その後の高度経済成長下の生活へと歩みを進めることになった。
しかしながら、高度経済成長期への本格的移行は、繁栄と太平のムードのなかで、平穏裡に進められたわけではなかった。そこには、安保改訂をめぐる嵐のような政治の季節が介在した。すなわち、昭和三十五年五月、安保改訂阻止を叫ぶデモは、連日国会を包囲した。同月二十日未明、新安保条約・協定が強行採決されるや、ますます安保反対勢力の勢いはたかまり、とくに二十六日の安保阻止国民会議・第十六次統一行動によって、一七万人のデモが国会を包んだ。
このいわゆる六〇年安保闘争におけるデモには、労組その他の革新勢力ばかりではなく、主婦をはじめとする未組織の市民の多くが参加した。品川区民のなかからも、このようなデモに加わったものは少なくなかったであろう。
安保阻止の闘争が、多くの一般市民を参加させながら、大きな政治的もりあがりをみせたにもかかわらず、六月二十三日には新安保条約批准書が交換され、同日、同条約は発効となった。このことは、政治的関心をたかめた市民層に、一種の挫折感を与え、それ以後における高度経済成長の波のなかに浮遊する姿勢をとらせることになったといえよう。