区民の教育上の要求

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食べること、生きることに精いっぱいであった戦後社会が終わって、区民がより良い生活をめざすに至るにつれて、区民の区行政への要求は量的に増大し、質的にはその内容が変わっていった。そのことは、当然区財政の膨脹をもたらすこととなるが、とりわけ区財政に大きな問題を投げかけたのは、区民の教育上の要求であったといえよう。

 三十年代にはいって、区民の経済生活に多少の向上がみられたとはいえ、なお一部の小学校では、戦後社会の名残りである二部授業がおこなわれていた。この二部授業の解消も、区民の切実な要求であったが、戦後のベビー=ブームの時代に生まれた児童が中学に進学するのに対応する中学校増改築は、きわめて緊急を要する課題となった。

 中学の義務教育化にともない、区内にはすでに昭和二十年代に、一四校が開設されていた。都内でも有数の人口過密地帯であり、しかも中学新設のための空地に乏しい品川区にとっては、中学増改築の問題は最大の悩みであった。そのような状況のなかで、区では、三十四年度から、中学校増改築費として約二億〇五〇〇万円を計上し、七〇教室の増築、および一二教室の改築プランを立てた(第217表参照)。

第217表 区立中学校の開校日
校名 開校日
東海 昭和22.5.1
城南 〃 23.4.12
日野 〃 22.9.1
大崎 〃 22.9.1
浜川 〃 22.9.1
伊藤 〃 22.5.3
鈴ケ森 〃 28.4.1
富士見台 〃 29.4.1
荏原一中 〃 22.5.1
荏原二中 〃 22.5.1
荏原三中 〃 22.5.1
荏原四中 〃 22.5.1
荏原五中 〃 22.5.1
荏原六中 〃 29.4.1
戸越 〃 34.4.1
平塚 〃 36.4.1

 

 なお、昭和三十八年度からの高校入学難にそなえ、品川区では三十五年三月の第一回定例区議会で「公立高校施設強化」の意見書を決議して、都に提出して以来、区議会が中心になって学校・PTA・教職員組合・婦人団体・町会・労組などに呼びかけ、「都立高校増設促進協議会」結成の準備をすすめ、同年十二月結成大会を開いて、区ぐるみの運動を展開している。

 中学校における教室の絶対数不足に対応する策は、先に述べたようにして立てられたが、教育の質の問題としての学校差が、区内においてないわけではない。昭和三十四年四月以降にとり沙汰され、新聞にまで報じられた区立中学の越境入学事件は、そのことを物語っている。

当時の新聞は次のように報じている。

 

   品川区立荏原三中学区内の生徒約六十人が荏原四中や戸越中など隣接中学へ集団的に不法越境入学しているため、荏原三中の生徒数が一クラス分だけ完全に宙に浮いている事実が判明、教育行政の基礎である学区制を侵すものだとして問題になっている。(中略)越境入学の理由としては一昨年まで四中の学区だったから一家の兄弟は全部四中へ通学している。同じ学校へ通わせたいのが親の人情だろうといっているが、実際には三中が現在地(二葉町二ノ四七七)に移転してから九年しかたっていないので、校舎や運動場などが完全に整っておらず、そのため学校差が主な原因だとされている。(『東京新聞』昭和三十四年四月二十四日)

 

 このような問題は、たんに越境入学者への処分や措置とは別に、校舎の増改築あるいは新築における質的内容の問題として、区行政における重大な課題となり、区財政における教育費の問題となるのであった。