(ハ)郷里への分工場設立

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西大井のS製作所はプラスチック成型の工場であるが、内容は、通信機部品や、ステレオ部品を生産する小工場である。四十になったばかりの主人は終戦後新潟県から上京し、プラスチック工場に八年間勤務したのち、昭和三十二年に弟を郷里からよんで二人で中延の下宿屋の階下三坪を借りて創業した。昭和三十六年現在地に移転して規模を拡大し、最盛時は一二名の従業員を有していた。調査時、従業員は男子四、女子二人であったが、男子の四人はいずれも主人の郷里の新潟県人であり、H製作所と似た傾向を示す。また女性は近隣の居住者である。

 ところで、昭和四十年ころから人手不足がいちじるしくなり、退職者の人員の補充が困難となったため、郷里の新潟県大和町に分工場を設立することを計画する。そして、昭和四十二年弟を工場長として郷里に分工場が設けられ、現地で男子一二名、女子九名を雇傭して、生産を開始するが、現在ではその生産の主力を分工場にゆだねるにいたっている。

 分工場の労働者は、男子では零細農家の長男が多く、その平均年齢も二十四歳と若い。賃金は東京に較べて約二〇%から四〇%安い上、出勤率や定着率も高く、順調な経営を続けている。