豊町M工業所は夫婦二人とあとは内職下請二、三人を使う零細な電器部品の組立て工場である。三十代後半の主人は、約十年H電子製作所に勤務したのち、昭和三十八年独立した。当初は戸越銀座のアパートの一室で夫婦二人で製作に従事していたが、昭和四十一年現在地に作業所を借り、住居と職場を分離した。仕事の内容は当初はイヤホーンのプラグ付け、次いで電子オルガンのアンプ組立てから、現在(昭和四十四年)は小型テープレコーダーの組立てと、短い期間にめまぐるしく変わっている。この激しい変化は、これらの製品がいずれも輸出用であり、輸出品は海外の情勢によって需要の変化が激しく、従って下請注文が継続せず、一定の期間でとだえる傾向があるためである。テープレコーダーの組立ては、一台の工賃は二百円で、月に五〇〇から一、〇〇〇台を組立てるが、内職者の下請けを常時二、三人は持っている。
内職者は近隣の主婦が多い。この工場での一日の労働時間は、主人一〇時間、妻四時間が平均であるが、納期がせまると徹夜仕事となる場合も少なくない。生活費はアパート・作業場の借り賃に約三万円、生活費に約五万円を要し、現在の収入ではその生活はかなり苦しく、アパート四畳半に夫婦・子供三人の五人暮しという狭さである。どこかの中堅工場の系列に入って、恒常的な仕事をとり、経営を安定させる方法も考えられるが、その場合、安い工賃に押えられるのが普通であり、それに踏み切れず、また機械の導入などは設備資金がないため困難で、依然として手作業による注文仕事にたよらざるを得ないのが現状である。