団地生活者の意識

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団地生活が新しい生活のパターンとされるのは、たんに建物の形態だけからではない。団地という居住形態のもとで生活する住民の意識には、在来のそれと異なる部分がかなりみられるからなのである。もちろん、団地住民の意識も単純に図式化し、一般化することは危険であるが、鉄筋コンクリートの壁で囲まれ、窓を閉じ、鉄のドアをしめれば密室と化すような居住の形態は、これまでの日本の住宅には少なかったものであり、そこではプライバシーが守られるけれども、ともするとその生活は閉鎖的になりがちである。このような反面、階段その他を共同の居住部分としてもつだけに、ある種の近隣的関係が保持されるけれども、その接触は、「ふだんの生活で困ったとき、つきあいがないと不便」だということを動機とし、「留守中のことなどおたがいにたのみあう程度」のものにとどまりがちである。


第200図 区内で一番早く建てられた鉄筋コンクリートの大井林町都営アパート

 団地の住民の地域への帰属感は稀薄で、現住地への愛着や誇りをもたないものが多く、何年かたてばほかの土地に住むといった「移住」志向型の意識が比較的強いとされている。このような意識のみられる団地の住民が、いわば移住者として、古くからその土地に住んでいる住民の社会に新しく加わった場合、そこに何らかの違和感が生じる。とくに品川の地に明治の昔から住んでいる、いわゆる「土地ツ子」の多い地域の場合には、その近隣関係は、「同じ土地に住むものとして、近所づきあいは当然」という考えから、「とくに用事はなくとも親しく訪ねあう」というきわめて親密なものとして確立されている。このような近隣関係についての意識を、団地の住民の場合と対比しただけでも、大きな違いがそこにみいだされる。「ダンチ族」という流行語は、在来の住民意識からみた団地住民への多少の批判を、そのうちに含んで用いられていったのである。

 団地生活が一種の集団生活であることはいうまでもない。そのことは、団地生活者に、趣味その他の同好団体を組織して集団的に余暇を利用したり、また、住民の団結のもとに自分たちの要求を貫徹するような行動を可能にする。このような合理的で権利意識の強い行動様式は、戦後に漸く一般化してきたものであるが、とくに団地生活者に目だって認められる点だということができよう。しかしながら、団地特有の集団的生活の雰囲気のなかで、隣りでテレビを買えば、無理をしてでもテレビを買いととのえるといった、模倣ないしは競争の心理が働くといわれる。そのような点に関しては、合理性を欠き、主体性のない行動様式が団地生活のなかにみいだすことができるのである。