昭和三十三年度以降、十五年間にわたる品川区財政の動きをみるにあたって、まず財政規模の推移を把握しておこう。昭和三十二年度の歳入約一〇億円だったものが四十六年度には、実に一二〇億円にふくれあがっている。十五年間に十二倍という驚くべき高度成長である。歳出も、ほとんど同じ足どりで、約十一倍に膨脹したのである(第202図)。もっとも、この間に消費者物価も約二倍に騰貴しているので実質では六~七倍の膨脹ということになるが、それでも、やはり、めざましい区財政の発展であることは否定できない。
十五年間の各年度ごとの対前年度増減率でみると(第203図)、最も膨脹が著しいのが歳入では昭和四十年度(三八・二%)、昭和四十二年度(三二・五%)、歳出では昭和四十年度(四五・一%)、昭和四十二年度(四〇・七%)であった。これに対して増加率が鈍化したのは、昭和三十八年度・昭和四十一年度で、昭和四十三年度は僅かだが例外的に減少を示した。歳出では昭和四十一年度も減少したのである。このような区財政の動きは、伸び率がおしなべて高い期間は、たとえば昭和四十年以降のベトナム戦争のエスカレートによる輸出産業や、自動車工業の発展を軸とする高原景気に起因するものとみられるし、三十二年から三十六年の好況期も比較的高水準の伸び率を示し、三十七年~四十年の不況には、やや伸び率が鈍化するなど、ほぼ日本経済の循環に照応している。ただし、区財政歳入の中心である特別区民税は区民の前年の所得によって決められるわけで、この面では一年おくれて影響してくるし、後にみる「都経済」から「区経済」への業務の転換などの政策による場合もあるし、また、前の年があまりにも急膨脹しているため好況だが、次年度の伸びは大してみられないなどの諸要因が交錯していることも考慮に入れねばならない。
このような品川区財政の膨脹は、ひとり品川区だけに限らず、ほとんど東京都二三区全体に共通した現象であった。昭和三十七年から同四十六年度までの十年間に、品川区財政は四・〇倍に、二三区財政の総合計は四・四倍の膨脹だった。むしろ、品川区の伸び方は十五番目で、やや鈍い方でさえあった(第225表)。
区分 | 37年歳入総額 | 46年歳入総額 | 比較 | 品川区基準指数 |
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23区合計 | 68,218 | 300,479 | 4.4倍 | 1.11 |
千代田 | 1,726 | 7,528 | 4.4倍 | 1.10 |
中央 | 2,023 | 7,192 | 3.6倍 | 0.9 |
港 | 3,143 | 10,811 | 3.4倍 | 0.87 |
新宿 | 3,000 | 11,827 | 3.9倍 | 1.00 |
文京 | 2,011 | 8,809 | 4.3倍 | 1.11 |
台東 | 1,853 | 9,840 | 5.3倍 | 1.34 |
墨田 | 2,289 | 9,764 | 4,3倍 | 1.08 |
江東 | 2,628 | 13,130 | 5.0倍 | 1.27 |
品川 | 2,916 | 11,513 | 4.0倍 | 1.00 |
目黒 | 2,614 | 9,344 | 3.6倍 | 0.90 |
大田 | 5,115 | 20,526 | 4.0倍 | 1.01 |
世田谷 | 5,882 | 19,846 | 3.4倍 | 0.85 |
渋谷 | 2,855 | 9,949 | 3.5倍 | 0.88 |
中野 | 2,621 | 10.084 | 3.9倍 | 0.97 |
杉並 | 4,325 | 15,992 | 3.7倍 | 0.94 |
豊島 | 2,051 | 10,965 | 5.4倍 | 1.35 |
北 | 2,735 | 12,354 | 4.5倍 | 1.14 |
荒川 | 2,221 | 9,572 | 4.3倍 | 1.09 |
板橋 | 3,092 | 16,280 | 5.3倍 | 1.33 |
練馬 | 3,115 | 17,741 | 5.7倍 | 1.44 |
足立 | 3,638 | 21,917 | 6.0倍 | 1.52 |
葛飾 | 3,380 | 15,846 | 4.7倍 | 1.19 |
江戸川 | 2,975 | 19,637 | 6.6倍 | 1.67 |
(単位未満切捨)