高速道路の建設と平行して一般道路の整備も進められた。昭和三十八年五月、品川区内で指折りの交通渋滞地点であった八ッ山橋陸橋の約一〇〇メートル南側に、幅二〇メートルの新八ッ山橋が完成したのをはじめ、昭和三十八年十二月には、旧大崎ロータリーから環状六号線に抜ける放射一号線が開通した。旧大崎ロータリーから大崎広小路交差点間は、夕方のラッシュ時には都心へ向かう車の列が約一キロもつづくという交通渋滞地点であったが、バイパスの開通により渋滞もだいぶ緩和された(『資一二三七・一二五五~一二五六ページ』)。その他、昭和四十三年には、目黒駅付近の目黒通りのバイパスが開通している。
道路網の新設と平行して、路面の舗装も年々進められ、昭和四十五年には、品川区内の道路舗装率は九八・六%に達した。
年次 | 総延長 | 舗装済 | 砂利道 | ||
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m | m | % | m | % | |
昭和30年 | 321,765 | 154,058 | (47.9) | 167,708 | (52.1) |
33 | 320,129 | 224,912 | (70.3) | 95,217 | (29.7) |
36 | 322,183 | 276,217 | (85.7) | 45,966 | (14.3) |
39 | 333,100 | 327,734 | (98.4) | 5,366 | (1.6) |
42 | 339,392 | 334,532 | (98.6) | 4,860 | (1.4) |
45 | 342,611 | 337,983 | (98.6) | 4,628 | (1.4) |
知事管理分のみを示す(「東京都統計年鑑」による)
しかし、このような道路の整備も急激な勢いでふえ続ける自動車の増加には全く追いつかない状態である。品川区内の自動車の台数は昭和二十五年には僅かであったが、昭和三十年前後から急速に増加し、昭和三十五年には二万〇一六三台、四十年には四万四三六一台に、そして昭和四十五年には、六万一五六六台に達し、台数はほぼ区民六人に一台の割合に達している。
年度 | 総計 | 乗用車 | トラック | バス | 三輪車 | 軽自動車 |
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昭和34年度 | 20,163 | 3,776 | 4,457 | 225 | 2,338 | 9,367 |
36 | 26,447 | 7,056 | 7,641 | 379 | 1,990 | 9,381 |
38 | 38,893 | 12,662 | 13,642 | 457 | 1,538 | 10,594 |
40 | 37,905 | 15,068 | 12,417 | 472 | 647 | 9,301 |
42 | 48,448 | 23,282 | 15,449 | 565 | 318 | 8,834 |
44 | 61,566 | 31,509 | 18,162 | 615 | 163 | 11,117 |
46 | 68,726 | 35,870 | 19,532 | 680 | 96 | 12,548 |
各年度3月31日現在(「品川区の統計」各年より)
また、品川区には、その地理的位置からして第一京浜国道・第二京浜国道・中原街道など幹線道路が区内を通過しているために、区内の自動車交通量をさらに増大させているともいえよう。
その結果、道路容量と道路交通量のアンバランスが生まれ、道路の交通渋滞をひきおこしている。品川区内でも、大崎広小路をはじめ、平塚橋・八ッ山橋などの交差点では、ラッシュ時間帯には自動車の列がジュズつなぎになることも多い。