トロリーバスの廃止

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この財政再建計画により、トロリーバスも姿を消した。トロリーバスは東京都においては、戦後の交通混乱を解消するため、バスの代わりに登場したものである。すなわち終戦直後、都は当面の交通混乱を解消するため、バスの回数を戦前水準までに回復することを大きな目標のひとつにしていた。しかし、当時はガソリンの輸入事情が思わしくなく、また、軌道の拡張には莫大な建設資金が必要であったため、電力を動力として比較的建設費が低廉で、しかもバスより輸送力の大きいトロリーバスが採用されるに至ったのである。

 路線は、都電とバス路線を勘案し、通過道路を検討した結果、品川駅前・池袋駅間の一六・七六キロメートルをはじめ、三路線の特許を申請した。昭和二十六年四月特許が下り工事が開始された。品川駅前・池袋駅間は、上野公園前・今井間にひき続いて第二期工事として着手され、工費四億九〇〇〇万円をもって、昭和三十一年九月二十一日に開業した。

 しかし、トロリーバスも路面を走るため、昭和三十二年から都電と同じ運命をたどることになる。道路の混雑により運行速度が低下し、また、都心部の人口減少も加わって昭和三十七年からは乗客数も減少の一途をたどりはじめた。そのうえ、営業開始当初とは周囲の諸条件も大きく変化し、石油はすでに自由化され、バスは大型化されていた。さらに、「重量が大きく機動性に乏しい」、「ポールのゆるみが激しい」などトロリーバス特有の欠点がおおいかくせない状態となっていた。かくて、時代の脚光をあびて登場したトロリーバスも、わずか十数年で、四十三年に全廃されてしまった。なお、品川駅前・池袋駅間のうち品川駅前・渋谷間は昭和四十二年十二月十日に廃止されている。


第206図 トロリーバス池袋・品川線(昭和42年)