進展する鉄道の高架工事

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品川区内では、京浜急行電鉄と東京急行電鉄の各線にとくに踏切が多く、なかでも荏原中延―旗の台間では約九〇メートルに一ヵ所の割合で踏切があり、事故が絶えない。

 鉄道の高架工事は、昭和初期から十三年ころまでは比較的活発に行なわれていたが、その後は戦争による資材不足のため中断されたいた。戦後もしばらくの間は、戦災復旧や保守不足の補充に追われ、高架工事はほとんど行なわれることはなかった。しかし、昭和三十年代になると、自動車の普及による道路交通量の増加、鉄道のスピードアップや列車本数の増加などより、踏切は交通渋滞の大きな要因となり早急に鉄道と道路の立体交差工事にとりかからなければならなくなった。

 まず、昭和二十九年から三十二年にかけて東京急行電鉄田園都市線中延駅付近の立体交差工事(第二京浜国道)が施行された。総工費三億円、除却された踏切九ヵ所という当時としてはかなりの大工事であった。ついで昭和三十八年から翌年にかけ、旗の台駅付近八〇〇メートルが高架になり、踏切四ヵ所が除却されたほか、四十年から四十三年にかけて、長原駅付近で環七通りと立体交差化するために鉄道を半地下にして、踏切五ヵ所を除却した。また、昭和四十七年から四十八年十二月にかけては、京浜急行電鉄本線立会川・大森町間が高架化され踏切り八ヵ所が除却されている。

 そのほか、昭和四十九年二月現在、京浜急行電鉄本線北品川・青物横丁間の高架工事が進行中であり、線路すれすれに人家が密集し、約一〇〇メートルに一ヵ所の踏切り、という運転士なかせの危険区間も解消されることになろう。

 また、池上線戸越銀座―旗の台間一一五〇メートルでも都道補助二十六号線との立体交差工事の測量が開始されている(『広報しながわ』第三二九号)。