東京の海―海と老人―

980 ~ 982

経済の発展は自然を破壊する。東京湾の水は汚濁され、埋立によって海そのものが失われる。東京湾を生業の場とする内湾漁業者の前途は、東京の社会経済的発展とはうらはらに、きわめて暗澹たるものである。すでに明治末期から大正初年にかけて、衰退の道をたどることをよぎなくされ、海苔養殖でほそぼそと命をつないできた品川の漁業は、昭和三十九年代の高度経済成長によって、完全にその命脈を断ち切られることになるのである。

 昭和三十四年七月に出た経済白書は、「速かな景気回復と今後の課題」を論じたが、そのころは、「なべ底不況」から立ち直った日本経済が、「岩戸景気」にむかって上昇の始動を開始しようとする時期であった。その経済的上昇は、やがて池田内閣による高度成長政策につながるものであった。

 このような時期における東京湾の漁民の実態はどうであったろうか。当時『東京新聞』では、「東京の海」という特集記事を連載していた。その二八回目の記事(昭和三十四年七月十二日)は、次のような文章ではじまっている。

  「東京の海にも漁民はいる。しかし、この漁民たちは網をもちながら海へ漁には行かない。行きたいが行けないのだ。海がいまでは彼らにとって生きる職場ではないからだ。汚水に濁った海、船の吐き出す油でよごれた海、魚たちは自分たちの住居を変えてしまった。油を使って船を沖へ出しても、魚は網にかからない。経費倒れになってしまうのだ。羽田空港が拡張されると貝も取れない。いま彼らの生きるたった一つの道はノリをつくることだけだ。」

 

 さらにこの記事はつづけて、東京湾の漁民たちが「生きる道」とせざるをえない海苔づくりも、その見通しは決して明るくないと述べている。埋立や水質汚濁のなかで辛うじて海苔漁場として残された狭い海面で、湾内一六の漁業組合が、文字通り目白押しに海苔をつくっており、このままでは漁民は共倒れにならざるをえない現実であるという。しかもその海苔は、昔のような「口の中へ入れるとトロリととける風味」も「ツヤ」もない品となっている。

 このように前途の暗い東京湾の漁業に、青年たちはまったく希望を失ってしまい、海に働くものはしだいに老人ばかりになっていかざるをえない。この新聞の特集記事には、北品川の一角に残された漁師町でノリ網を手入れしているひとりの老人の写真がのっている。そのさびしげな老人の姿は、やがて終わりをつげようとしている品川の漁業を象徴している。


第208図 旧猟師町でノリ網の手入れをする老人(『東京新聞』より)

 こうした漁業の実態のなかから、漁民の生活権を守る漁業補償の問題が大きくクローズ=アップされてきた。とくに、漁民にとって海を奪われることは、最大の痛手である。「先祖代々の海を奪われることがつらいんです。だから埋立が一番困るのです」ということばが、漁民自身の口からほとばしり出るように、東京湾の埋立事業は、漁業補償の問題を抜きにしては進めることができなくなっている。