漁業権放棄に関係した補償措置は、補償金交付のみで終わるわけではない。父祖伝来の生活の根拠を失った漁民の生活上の不安、とりわけ転業対策は、きわめて大きな問題であった。これら漁民の転業をめぐる不安について、前掲の『朝日新聞』は次のように触れている。
漁業を〝廃業〟する組合員は、すでにこの夏ごろから手持ちの農地を売って鉄工場を開いた人や、『新年は新しい商売で』と今から資金ぐりに走り回るなどさまざまだが、中には『現金を見ないとなんともいえない』と、転業の方法に困っている人もあって組合の表情は複雑だ。
また近年続いているノリの不作や貝類の減収対策として、去る四月に組合員中には今回の補償を担保に都漁信連から一世帯最高五十万円の融資を受けている人もあり、これも補償金額が支給になるとすぐ返すという契約で、生活資金にもこと欠く結果になって『補償金をもらっても……』とこぼしている組合員もある。(前同)
多額な補償金を貰った漁民が、競馬・競輪にあけくれているといった無責任な噂さが、一時区民の間にささやかれたこともあったが、現実は決してそのようなものではなかった。とくに品川区内では、補償金を資金にして木造の小アパートや貸家・貸間を建築・増築するものが少なくなかった。もちろんそれとて、土地の入手しがたい事情から、これまでの作業場や庭先きを利用するきわめて小規模なものでしかなかった。ただ、今さら新しい職業に転ずることのできぬ比較的高年齢層の漁民にとっては、このような方法が比較的確実な老後の収入源と考えられたのである。
漁業廃業者の転業の特色として、新しい雇傭関係にはいるものに比較して、自営のものが多いといわれる。また職業選定の方法として、職業安定所その他の公共機関を利用する事例が少ないのも特色である。そのこととの関連からか、他の職業に転業したものも、比較的臨時的な雇傭関係にとどまるものが多いようである。この点からも、漁業放棄後の転業対策は、必ずしも旧漁民に生活の安定を保障していないというべきであろう。
品川の場合の特徴として、いまひとつ指摘できる点は、遊船業に従事するものが比較的多いことである。いわゆる観光ブーム・釣ブームの時流にのって、観光漁業としての遊船業は有望であるかとも考えられたが、現実にはその期待は裏切られた。埋立と汚染によって、東京湾内にはほとんど漁場は見いだされず、観光漁業としての漁場も遙か遠くにならざるをえず、そのためマイカーによる陸路直行組に客を奪われ、品川の釣船客は減少するばかりなのである。品川の名残りをとどめる遊船業も、このように斜陽化せざるをえない現実である。
品川をはじめとする東京の内湾漁業は、以上のように完全にその姿を消した。やがて、東京湾の漁業は、古老の語り草としてしか残らなくなるであろう。しかし、内湾における漁場放棄を機会に、内湾漁業の歴史を後世に残すための歴史の編集が企画された。昭和四十六年五月発行の『東京都内湾漁業興亡史』(同刊行会)がそれである。