東京の巨大化に伴う品川区の変化は、たんに外見上のそれにとどまらない。激しい社会的変化のなかで、もっとも注目しなければならないのは、人口の変化である。
巨大化していく都市には、「ドーナツ化」現象という大都市特有の現象が必ずみられる。とりわけ東京の場合には、政治・経済・文化の中枢機関が都心部にいちじるしく集中した。日本経済の高度成長は、大企業の本店・本社の東京集中に拍車をかけた。これららの傾向は、都心部におけるビル=ブームを惹き起こし、高層建築物を増加させた。その結果、東京の都心部には、昼間莫大な人口が集中するが、夜間人口は激減するという現象がみられるに至り、都心部からの常住人口の流出が顕著となっていった。
この「ドーナツ化」現象の進行につれて、都心周辺の人口は、しばらく増加の道をたどった。品川区の場合もその例外ではない。昭和三十年以降三十七年まで、区内人口の対前年増加比率は、平均一・六%の割合で増加をつづけている。
しかしながら、この人口増加の傾向は、三十八年に至って一応停止する。同年の人口は、前年にくらべて実数において二、五〇八人、比率において〇・六%減少している。翌三十九年には、ふたたび前年比〇・九%の増加を示すがその後、四十三年を除いて、品川区の人口は、第241表のように減少していくのである。
年次 | 人口 | 人口の対前年増減(△印減) | |
---|---|---|---|
実数 | 比率 | ||
% | |||
昭和37年 | 414,520 | 5,517 | 1.3 |
38 | 412,012 | △ 2,508 | △ 0.6 |
39 | 415,728 | 3,716 | 0.9 |
40 | 410,637 | △ 5,091 | △ 1.2 |
41 | 407,230 | △ 3,407 | △ 0.8 |
42 | 398,079 | △ 9,151 | △ 2.2 |
43 | 399,974 | 1,895 | 0.5 |
44 | 396,558 | △ 3,416 | △ 0.9 |
45 | 391,703 | △ 4,855 | △ 1.2 |
46 | 388,122 | △ 3,581 | △ 0.9 |
47 | 381,143 | △ 6,979 | △ 1.8 |
品川区のように人口減少の傾向にある区は少なくない。いまや東京都二三区の半数以上が、人口減少区となっている。国勢調査の行なわれた昭和四十年と四十五年の各区人口を比較して、人口増減の状況をみると第242表のとおりである。これによると、人口減少率は、千代田の二〇・三%をトップに、中央・台東の都心区部が高率を示しており、墨田・荒川・文京・港の各区についで、品川区は人口減少率六・一%で二三区のうち第八位を占めている。このことから、品川区は都心周辺区部として「ドーナツ化」現象のなかにまき込まれている、ということができる。とくに、副都心地域を区内にもっている新宿・豊島・渋谷の各区よりも、品川区が高い人口減少率を示していることは注目すべきである。
地域 | 人口 | 昭和40年~45年の増減(△減) | ||
---|---|---|---|---|
昭和45年 | 昭和40年 | 増加数 | 増加率 | |
% | ||||
総数 | 11,408,071 | 10,869,244 | 538,827 | 5.0 |
区部 | 8,840,942 | 8,893,094 | △ 52,152 | △ 0.6 |
千代田 | 74,185 | 93,067 | △ 18,882 | △ 20.3 |
中央 | 103,850 | 128,024 | △ 24,174 | △ 18.9 |
港 | 223,978 | 241,861 | △ 17,883 | △ 7.4 |
新宿 | 390,657 | 413,910 | △ 23,253 | △ 5.6 |
文京 | 234,326 | 253,449 | △ 19,123 | △ 7.5 |
台東 | 240,769 | 286,324 | △ 45,555 | △ 15.9 |
墨田 | 281,237 | 317,630 | △ 36,393 | △ 11.5 |
江東 | 355,835 | 359,672 | △ 3,837 | △ 1.1 |
品川 | 397,302 | 423,278 | △ 25,976 | △ 6.1 |
目黒 | 295,612 | 298,774 | △ 3,162 | △ 1.1 |
大田 | 734,990 | 755,535 | △ 20,545 | △ 2.7 |
世田谷 | 787,338 | 742,880 | 44,458 | 6.0 |
渋谷 | 274,491 | 283,730 | △ 9,239 | △ 3.3 |
中野 | 378,723 | 376,697 | 2,026 | 0.5 |
杉並 | 553.016 | 536,792 | 16,224 | 3.0 |
豊島 | 354,427 | 373,126 | △ 18,699 | △ 5.0 |
北 | 431,219 | 452,064 | △ 20,845 | △ 4.6 |
荒川 | 247,013 | 278,412 | △ 31,399 | △ 11.3 |
板橋 | 471,777 | 477,007 | △ 5,230 | △ 1.1 |
練馬 | 527,931 | 434,721 | 93,210 | 21.4 |
足立 | 571,791 | 514,736 | 57,055 | 11.1 |
葛飾 | 462,954 | 446,040 | 16,914 | 3.8 |
江戸川 | 446,758 | 405,365 | 41,393 | 10.2 |
所属未定地 | 763 | ― | ― | ― |
品川区は、以上のように人口減少区であると同時に、その昼間人口が夜間常住人口を超えるという人口現象上の特徴をそなえている。昭和四十年の国勢調査によれば、品川区の昼間人口は四三六、八〇七人、夜間常住人口は四二三、二七八人である。その調査によれば、毎日品川区に約一三万人が区外から通勤・通学して来ている。昼間の品川区の人口では、一〇〇人のうち三〇人ほどが区外からの通勤・通学者になる。ちなみに千代田区や中央区ではこれが八〇人を超える。これに対して、品川区内居住者のうち毎日区外に通勤・通学する者は約一一万七〇〇〇を数える。流入人口と流出入口の差一万三〇〇〇が、品川区にとって流入超過人口となっているわけである。同様のことを、四十五年についてみると、流入超過人口は三万をこえている。
昭和四十五年の国勢調査によれば、二三区のうち流入人口が流出人口をこえている区は、一一区である。流入超過人口の昼間人口に対する比率をみると、当然のことながら千代田・中央の両区が九一・二%および八三・五%で最上位を占めている。品川区のこの比率はわずか七・六%で、一一区のうち第十位である。先にあげた人口減少率が、品川区よりも低い新宿・渋谷・江東の各区にくらべて、右の流入人口超過率は、品川区のほうが低率である(品川の七・六%に対し、新宿は三三・九%、渋谷は二八・二%、江東は九・五%である)。そのひとつの理由は、品川区内に流入人口を吸収する副都心的街区のないことに求められる。とするならば、品川区における人口の減少は、都心ないしはそれに近いいくつかの区の場合のように、ビジネス中心の街区が造成された結果だとはいえず、むしろ住宅地としての環境悪化にもとづく部分が大きいと考えられるのである。