人口の社会的減少

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昭和四十年以降の品川区における人口減少傾向の定着化は、まず何よりも住宅地としての環境が悪化したことにもとづいている。戦前から「緑に包まれた環境で、都心へ便利な住宅地」として評価された品川区内の住宅地も、さまざまな都市公害の被害を受けて、決して快適な住宅地ではなくなっている。また城南工業地帯の一部として、立地条件に恵まれていた区内の工場地域も、交通事情の悪化、地元労働者の求人難、住民からの公害の苦情等のために窮地に追い込まれた。地場産業のひとつであったクリスマス電球業者の集団移転は、区内における零細工場の苦悩を端的に示すものである(資五四四・五四五号参照)。

 品川区の地域が「緑に包まれた環境で、都心へ便利な住宅地」とされてきた反面、品川区は、戦前からきわめて人口密度の高い地域として知られてきた。第243表によって明らかなように、品川区は二三区のうち豊島区についで人口密度の高い過密地域なのである。もっとも、一平方キロメートル当たり二万三四六九人という区全体としての人口密度は、区内各地区によりかなりの地域差がある。この点は第244表により明らかである。

第243表 東京都地域別人口密度
(単位 1km2につき) (昭和47年1月1日)
地域 人口密度 地域 人口密度 地域 人口密度
総数 5,275 品川 23,469 板橋 14,387
区部 14,930 目黒 19,718 練馬 11,227
千代田 7,293 大田 15,887 足立 10,969
中央 10,947 世田谷 12,943 葛飾 13,369
11,434 渋谷 17,345 江戸川 10,159
新宿 20,432 中野 22,885 市部 4,228
文京 19,608 杉並 15,853 郡部 210
台東 22,976 豊島 24,806 島部 86
墨田 19,623 20,391
江東 12,307 荒川 22,221

 

第244表 品川区地区別人口密度

(単位 1km2につき)
(昭和47年1月1日)

地区 人口密度
品川地区 16,787
大崎地区 16,714
大井地区 21,987
荏原地区 32,820

 

 区内各地区における町丁を、人口過密の程度によって分類したのが、第245表である。これにより町丁によって人口密度にある程度のばらつきのあることが知られよう。そのうち、一平方キロメートル四万人をこえる超過密の町は、品川地区では西品川二丁目、大井地区では大井二丁目、荏原地区では小山二・四丁目、旗の台四丁目、中延二丁目、戸越二・三・四丁目、豊町四・五・六丁目、二葉三丁目である。区内で最も過密な町は、一平方キロに五八、四〇〇人が住む大井二丁目である。

第245表 人口密度による地区別町丁分類(昭和47年1月1日)
地区 品川 大崎 大井 荏原
人口密度
40,000以上 1 0 1 11 13
30,000~39,000 6 2 3 30 41
20,000~29,000 5 6 17 6 34
10,000~19,999 3 11 3 5 22
5,000~9,999 2 3 2 0 7
5,000未満 6 0 1 0 7
23 22 27 52 124

 

 このような人口の過密は、品川区の住宅地域としての限界を示すものであり、それは人口の減少をひきおこす原因のひとつであることはいうまでもない。しかしここでは、これ以上人口減少の諸原因を追究することをやめて、人口統計の面から最近における区内人口の減少を分析していくこととする。その場合、第一に検討してみる必要のあるのは、人口の自然的増減である。住民基本台帳によると、昭和四十六年の出生数は七、三〇四、死亡は一、九八八である。それによると、年間五、三一六人の人口自然増となる。この自然増には毎年さしたる変化はない。それにもかかわらず、年々人口が減少するのは、この自然増をうわまわる減少があるからにほかならない。

 人口統計上転入人口と転出人口との差を人口の社会的増減という。住民基本台帳によって、昭和四十六年の品川区への転入者を集計すると四万五七六九、同じく転出者は五万五四〇九である。両者の差九、六四〇人がこの場合区人口の社会減となるのである。昭和三十二年以降の区人口における社会的増減の推移は、別掲第211図にみるとおりである。三十六年まで転入が転出をうわまわって社会増を示しているが、それ以降は社会減に転じている。この社会減が、先にあげた自然増を超えることによって、区人口は減少にむかうのである。


第211図 区人口における社会的増減の推移(昭和32年~46年)

 区人口減少の主要な原因である転出者の増加は、区外への移転者の増加を意味し、それは区内の居住地としての環境悪化と無関係ではない。ただその場合、人口の減少と世帯数の増減との関係はどうであろうか。昭和三十七年以降の世帯数の推移を人口増減率の変化に対比させたのが、第246表である。これによると、世帯数減少傾向の定着は、人口減少傾向の定着に五年ほどおくれており、また世帯数における減少率は、人口におけるそれに比較して低率であることがわかる。

第246表 品川区における世帯数の推移(昭和37年~同47年)
年次 世帯数 世帯数の対前年増減 人口の対前年増減比率(△減)
実数 比率
昭和37年 130,559 10,104 8.4 1.3
38 135,824 5,265 4.0 △ 0.6
39 144,535 8,711 6.4 0.9
40 151,359 6,824 4.7 △ 1.2
41 154,719 3,360 2.2 △ 0.8
42 153,361 △ 1,358 △ 0.9 △ 2.2
43 156,293 2,932 1.9 0.5
44 156,431 138 0.1 △ 0.9
45 156,278 △  153 △ 0.1 △ 1.2
46 156,054 △  224 △ 0.1 △ 0.9
47 154,450 △ 1,604 △ 1.0 △ 1.8

 

 以上の事実は、品川区の人口減少の特徴を物語っている。つまり、品川区から転出する世帯は、比較的世帯員数の多いものが多く、これに対して転入者の場合は、少人数の世帯や単身世帯のものが多いと推論できるのである。もちろん、ここに核家族化の傾向が認められようが、さらに詳細な分析を加えていくと、人口の流動性というきわめて顕著な品川区の特徴が指摘できる。

 昭和四十年の国勢調査によって、品川区の世帯数を、普通世帯数のみならず準世帯数および準世帯人員についてみると、普通世帯数は一二万〇九二七、そのうち世帯主のみで構成されている一人世帯は二万五三七六、さらに会社や学校の寮のような準世帯が一万〇一八〇ある。しかも、準世帯を構成する世帯人員は、ひとりひとりが単身で生活しているものであるから、準世帯の世帯人員総数にひとしいだけの単身世帯が存在するとみなすことができるのであり、その数は三万八二五六におよぶのである。

 いま、右にあげた普通世帯数に準世帯人員総数を加えると一五万九一八三となる。そのうち、一人世帯の数と準世帯人員の合計は、六万三六三二となり、その構成比は三九・九%となる。このことは、区内における世帯ならびに世帯に準ずる生活単位のうちの約四割が、一人世帯と寮生活などをする単身世帯同様のものによって占められていることを意味する。この四割の人びとは、卒業・就職・転職・婚姻などの事態がおきると、品川区外へ転出する流動性の強い人口層である。品川区の人口の社会的減少は、このような流動の中に生ずる現象であることに注目しなければならない。