地域的性格

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品川区の現状は、東京のなかの都心周辺区のひとつとして「ドーナツ化」現象にまき込まれつつあるといえる。しかも、都心部や副都心部には、豊かな公私の資本の投入によって都市改造が推進され、超高層ビルが建設されて地域の整備も進んでいるのに反して、品川区の場合には、都市改造は小規模な副々都心程度のものにとどまって、地域の開発整備はきわめて不十分であり、老朽家屋の立ちならぶなかに、私的資本による中高層の建物がきわめて不統一・無秩序に建設されている現状なのである。その意味では、品川区は、東京あるいは首都圏における陽のあたらない場所にほかならない。

 品川区の地域的性格をひとくちでいえば、商工住の混合地域である。それだけに、地域の姿はきわめて複雑であるが、その実態を、品川区の一部である品川地区についてみればほぼ次の通りである。

 商工住の混合地域としての品川地区の特性は、品川宿を中心とし、その背後地であった農村や、東京湾沿いの漁村を含めてのこの町の歴史的変遷の過程から理解される。まず第一に、旧宿場町には、現代になってからも風俗営業が残り、それとの関連における最寄店(もよりてん)として小商店が増加した。それらの店舗は、戦後の風俗営業の後退とともにふえた工員寮・民間小アパート・簡易旅館の住民を顧客として、商店街を形成するに至っている。狭い旧東海道に沿って低い屋並の住居併用の木造店舗がならび、その屋並のところどころに、中高層ビルが点在し、道路には営業用の自動車がひしめきあっている。このような商店街は、品川地区の複合的性格を織りなすひとつの主要な要素である。

 第二の要素として指摘できるのは、住宅地の部分である。宿場の背後地としての農村は、明治以降宅地化され、大正期にはいるや借家の建設が進められた。その過程で、とくに宿場の西の台地は、比較的高級な住宅地となった。もっとも、関東大震災や太平洋戦争の影響で、かつての大邸宅のなかには、会社の寮や社員アパートとされたものも少なくなかった。北品川の一角の住宅地には、現在中流程度の住宅が多く、これにまじって給与住宅を主とする小団地風の住宅街がみられる。

 第三の要素として、品川地区の地域的特性を形成すると思われるのは、小工場地帯である。この地区における目黒川流域の低地には、安い地価のせいもあって、早くから工場が建設された。明治以降、さまざまな変遷を経たのち、現在この地域は、比較的小規模な工場や零細な家内工場を主とする工業地帯となっている。しかも、これらの工場の周辺には、そこで働く低所得労働者の小住宅が密集している。南品川の一帯は、このように、零細工場と労働者住宅の密集する過密住居地帯となっている。


第214図 住宅密集地

 東品川の漁村地域は古くから品川の町を特徴づける重要な地域ではあったが、京浜工業地帯の発展や、港湾埋立の進行などによって急速に衰微してしまった。もはやそこには、漁村的地域の特質は認められない。旧漁民のなかには、釣り舟業を営むものもあるが、内湾漁業や海苔業の廃止によって得た補償金の一部を投資して、自宅を建て増し、貸間やアパートとしたものが多い。従って、東品川の旧漁村は、低所得層の住宅地へと変質をとげたということができる。

 以上述べたところから、品川地区の複合的性格は、ほぼ三つにわけて理解することができる。第一は、旧宿場町から変わってきた商店街に代表される性格である。第二の性格は、品川の台地にならぶ住宅街によって代表される。さらに第三の性格は、南品川の小工場密集地帯に示されているものである。東品川の旧漁村の変化は、低所得層の住宅地として、第二と第三の性格の中間として理解されるか、あるいは第三の性格の中に含めて考えられよう。

 品川地区における複合的性格は、大崎・大井・荏原の残り三地区についても、ほぼ同様に指摘できる。第一の商店街としての地域は、武蔵小山や戸越銀座のように、その規模においては品川の旧宿場町を遙かにしのぐものも少なくないが、商店の規模が零細で、住居併用の店舗が主体であり、付近の顧客層のみを対象として、経営的に比較的停滞状況にある点は、区内の多くの商店街に共通である。商業統計調査(昭和四十五年七月一日)によれば、区内商店のうちの四四%は、従業者一~二人の零細規模商店であり、三~四人のものが三一%、総商店数の七五%は小規模商店にほかならないのである。この種の商店こそが、区内の商店街の住民主体を構成するものである。

 第二の住宅地としての性格は、地域によって住民の階層はまちまちであり、いわゆる池田山のような都内でも有数の高級住宅地が区内にある反面、先に述べたような一平方キロメートル当り四万人をこえる人口過密の住宅地が、区内の随所に存在している。しかし、概して区内の住宅は、敷地も狭隘であり、住宅の延べ面積も決して広くはない。敷地面積を、持ち家の専用住宅についてみると、六四・四平方メートル以下のものは全体の約二八%にすぎないが、借家に関しては、敷地が三一・三平方メートル以下のものが全体の約二一%、三一・四~六四・四平方メートルのものが約四三%を占めている。従って、区内の借家の六四%は、敷地六四・四平方メートル以下のものである。

 また、区内の一住宅あたりの延べ面積は、持ち家専用住宅では七〇・六六平方メートルであるが、借家では二〇・九〇平方メートルにすぎない。一人あたりの畳数は、前者で五・二六畳、後者では三・三〇畳となる。ことに区内の専用住宅のうちの三八・三%を占める共用民営住家=民間アパートにおいては、一人あたりの畳数は、わずか二・九〇畳である。これらの数字から、区内の住宅地の平均的な姿が推定される。しかも、住宅施設においても、かならずしも区内の住宅は恵まれたものとはいえない。たとえば、区内住宅で水洗便所のあるものは、昭和四十三年十月の調査では、二三・三%にすぎない。この数字は、近隣の港区では九八・一%、目黒区では三七・三%、大田区で三七・三%となっている。

 第三の小工場地帯としての地域的性格は、先に南品川地域について述べたことから明らかなように、零細工場を中心としたものである。工業統計調査(昭和四十五年十二月)によれば、区内工場の約七四%は、従業者数九人以下のものである。従業者数一〇〇人以上の工場はわずか全体の二%にすぎない。もっとも、一〇〇人以上の工場の従業者数は、区内工場における従業者総数の四三%以上を占め、零細工場の従業者数は、約二〇%にすぎない。ただ、これら零細工場の従業者は、事業主の家族または工場近くの低家賃の住宅・アパートに居住する者で占められている。こうした住工混在の形態が、区内の小工場地帯の特色にほかならない。しかも、この点は、区内の住宅地の一部に低所得層の過密住宅街を形成させる原因をなしている。

 以上のように品川区の地域的性格を分析してくると、その社会的経済的条件は決して恵まれたものでないと結論せざるをえない。先にも指摘したように、品川区には都心部のように都市改造や開発が進められない現状であり、また新しい住宅地が造成・開発されている郊外地と比較しても、品川区のような都心周辺区は、都市開発から取り残されているというべきである。まさに、都心と郊外地にはさまった、開発整備を忘れられた東京の谷間が、品川区だといえる。急速に進行する都市公害は、ただでさえ恵まれない商工住混在地域の居住条件をいっそう劣悪にしている。これらの点で品川区は、東京のなかで最も深刻な問題をかかえている区なのである。