大気汚染

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昭和四十五年七月二十四日の『朝日新聞』夕刊に、「東京の空ダブル汚染 城西光化学スモッグ 城南濃い亜硫酸ガス」というみだしの記事がのせられた。当日の東京は快晴、風が弱く、紫外線が強いため、城西方面を中心に、十八日、二十三日につづいてまた高濃度の光化学スモッグが発生し、都は「準注意報」を発令した。いっぽう城南方面では、川崎市の重化学工業地帯から流れてきた空気によって亜硫酸ガス濃度が高くなったため、都は大田・品川両区に亜硫酸ガスの広域汚染注意報を発令した。


第220図 昭和45年10月区庁舎に設置された大気汚染自動測定記録装置

 品川区内にも光化学スモッグ被害者がないわけではない。昭和四十五年以降四十七年六月十五日までの届出によれば、区内被害者は三三〇人、二三区では十五位、近郊の小平・武蔵野・三鷹・田無の各市よりも少ない。むしろ品川区における大気汚染については、亜硫黄ガス濃度の問題が深刻である。四十五年七月二十四日の場合からも明らかなように、夏期には京浜工業地帯、とりわけ川崎市の重化学工業地帯から高濃度の亜硫酸ガスが、風向によって大田区を経て品川区内に流れてくる。品川区の「硫黄酸化物濃度」は、夏季平均〇・〇三五ppmであるが、大田区(糀谷)では〇・〇六三を示している。

 品川の硫黄酸化物濃度が季節的に最高となるのは、冬期であって、平均〇・〇四三ppmに達する。その原因は、もちろん区内における工場・ビル等の暖房用重油使用量の増大にもあるが、風向によっては都心部からの影響をも強く受けるのである。このように、品川区の硫黄酸化物による大気汚染は、京浜工業地帯や都心部からの影響下におかれているのである。

 都公害局が四十六年度に測定した大気中の硫黄酸化物濃度についてのデータによると、都内一三の測定点のうち、年平均値が最高を示したのは大田区糀谷の測定点で〇・〇四六ppmであったが、概して大田・品川・港・中央・江東・墨田区を結ぶ地帯の汚染度が高い。都内の公害病認定患者の分布状況は、右のデータにほぼ対応しているという。四十七年十一月三十日現在の品川区における公害病認定患者数は、乳幼児二二名・小学生二〇名・中学生二名、計四四名である。

 区内旗の台一―一一―七の区立清水台小学校では、校区内の激しい亜硫酸ガス汚染によって、全校児童の半数が呼吸器系疾患に悩むという深刻な公害問題をかかえている。この小学校は、一日平均(昼間)約四万五〇〇〇台の車が走るという中原街道に面しており、すぐ近くに環状七号線などの交差点二ヵ所がある。さらに地形が、排気ガス公害で問題になった新宿区牛込柳町と同じ「スリバチ底」になっているうえに、学校付近に高層マンションが建ち並び、排気ガスを包み込む作用をしている。

 四十四年八月に実施された品川区公害課の大気汚染調査でも、清水台小は区内で亜硫酸ガスの最高着地濃度が最も高く、〇・四二ppmで国の環境基準(〇・〇五ppm)を八倍以上もうわまっていた。

 同校では毎年一回、全校生徒の健康診断をおこなっているが、昭和四十七年五月の定期診断では、全生徒三五七人のうち二〇〇人(男子一〇三人女子九七人)が咽喉や鼻などの呼吸器系に異常が発見された。罹患率実に五六%で都内全小学校平均罹患率をはるかにこえる異常な高率である。病名別にみると、扁桃腺肥大の一種であるアデノイド肥大症一九四人・扁桃腺炎一三〇人・鼻炎三人・喘息三人となっており、扁桃腺炎患者は同時に、アデノイド肥大症にかかっていた。

 『産経新聞』(昭和47・12・2)の報道によれば、運動場で遊んでいる生徒たちに症状を聞いてみても「長く遊んでいるとノドがカラカラになり、声がかれる」(六年生男子)「目がチカチカする」(同男子)「カゼをひいたとき、なおりにくい」(三年生女子)――など、一〇人に四、五人は大気汚染の影響を訴え、なかには、扁桃腺炎用の錠剤をなめながら遊ぶ子(六年生男子)もいた、という。

 これらの呼吸器疾患の原因について、同校の須貝亀寿雄校医は、明らかに自動車の排気ガスが原因だと主張している。同校医が、生徒たちの異常に気づいたのは、中原街道の交通量が急増した五、六年前からであるという。扁桃腺肥大を放置すれば、蓄膿症・難聴・記憶力の減退等を誘発する危険があると、同校医は、大気汚染に包まれた同校児童の将来を憂えている。


第221図 区内最高の亜硫酸ガス汚染地域清水台小学校付近

 品川区における一酸化炭素濃度は、二一地点環境調査によれば、全地点平均値は夏秋が七・五ppm、冬が六・六ppmである。この限りでは、環境基準に照らしても問題はないと考えられている。国による一酸化炭素の環境基準は、連続する八時間における一時間値の平均が二〇ppm以下であることと、連続する二四時間における一時間値の平均が一〇ppm以下であることである。

 しかしながら、局地的には、区内にも交通公害との関係から一酸化炭素の汚染に苦しめられている地域がある。そのひとつは、都道補助一七号の区内上大崎二丁目にある白金トンネル付近の地域である。このトンネルは、首都高速二号線の高架下にあり、長さ四三四メートル、幅一三メートルの四車線道路となっている。その構造は、完全なトンネル部分と、トンネルの横壁が開いた部分とから成っている。隣接の国立自然教育園側は壁で締切ってあるのに、住宅地側はオープンである。従って、昭和四十一年十二月の開通以来、付近の閑静な高級住宅地は騒音と排気ガスの町に一変した。


第222図 排気ガスの空中拡散のためにつくられ,新たな問題を含む白金トンネル換気塔

 住民は再三、公害対策の要望・陳情を繰り返し、四十四年秋には、次の二点を含む請願書を都議会に提出した。

 ① トンネルの開いた部分にふたをし、内部にこもる音、排気ガスは自然教育園側に換気口を設けてほしい。

 ② これが不可能なら、高い煙突で音とガスを散らしてほしい。

 この請願を契機としておこなわれた測定によると、騒音はトンネル開口部で昼夜とも八二~八六ホン、道路から一〇〇メートルはなれた地点でも六〇ホン台であったが、とくに一酸化炭素の汚染ははなはだしい。その濃度は、南側出口近くの二四時間平均値で一二・六ppm、八時間の平均値でも二〇・二ppm、環境基準の二条件をいずれも超えていた。

 トンネルのすぐ横に住む六十六歳の主婦は、血圧はあがり、タンが出、目はシブシブして、一ヵ月の入院をよぎなくされ、退院後も月に二、三回の通院を続ける状態であったという。また公害に耐えかねた家では、宅地を売却して転出するものもあった。しかし、都建設局の公害防止の措置はなかなか具体化しない。四十五年六月当時において、「人命と植物とどっちが大切なのか」というのが、付近住民の正直な気持であり、憤りにほかならなかった。この公害問題には、トンネル内の排気ガスの処理をめぐって、自然教育園の自然を愛護するか、付近住民を公害から守るかの二者択一の問題が含まれており、現実には自然愛護が優先された形であった。

 その後、都建設局では住民の要求を一方的にしりぞけることができず、トンネル内で発生する自動車の排気ガスを集めて空高く拡散させる計画で、トンネル脇に高さ三七メートルの白い排気塔を建設し、四十七年七月から作動をはじめた。それに先立って、生態学者らがつくっている「都市の緑を守る会」では、排気塔が動き出すと排気ガスが付近の住宅や自然教育園内に流れ込み、住民や自然に被害が出ると、浄化装置を要望していた。しかし都側では、浄化装置を付けても効果は少なく、汚染物質は拡散して汚染の心配はないとして、装置なしのままで排気塔を作動させることとした。

 教育園側では、作動前後の周辺の汚染濃度の測定を都に要求し、都もこれに応じて園内の一酸化炭素についての測定をさせた。測定二〇地点の一酸化炭素濃度最高値を、作動前と作動後について比較すると上表(第247表)の通りである。測定地点二〇のうち一ヵ所を除いて、作動後の最高値は作動前のそれにくらべ、大幅に高くなっている。とくに、排気塔から最も遠い北部の地点では、三倍近い一二・〇ppmを記録している。この数値は一時間平均のものであるから、瞬間的にはいっそう高いものである。また一酸化炭素がこれだけ高いということは、他の汚染物質の濃度も高いことが当然想定される。

第247表 排気塔作動前後の自然教育園の一酸化炭素濃度最高値

(単位 ppm)

地点番号 作動前 作動後 地点番号 作動前 作動後
1 4.3 12.0 11 3.8 9.2
2 4.4 11.2 12 5.9 5.8
3 5.3 11.0 13 3.6 8.7
4 3.8 8.8 14 3.9 8.8
5 3.7 8.8 15 3.7 8.8
6 5.2 8.5 16 3.4 8.2
7 4.2 8.9 17 4.0 9.6
8 3.6 8.3 18 3.7 9.0
9 4.4 8.4 19 3.8 9.0
10 6.5 8.6 20 3.9 9.4

 

 問題の新しい進展を前にして、都側は、人間と植物の共存が不可能な限り、行政は今後の地元の議論に従うほかないという態度である。しかし住民の側は、都が自然教育園についてのみ測定調査結果を発表し、住宅地のデータを明らかにしないことを強く非難している。「白金トンネル公害被害者の会」の佐々木栄一郎会長は次のように述べている。

 「教育園側が高くなったから、住宅側は減っているはずだ、という都の考え方は納得できない。住宅側も高くなっている恐れは十分にある。それについての調査データを公表していないではないか」(『朝日新聞』昭和四十七年十月十日)。