ギャンブル公害

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美濃部都知事就任以来の懸案であった「都営ギャンブル全廃」は、昭和四十五年三月十五日都議会で本決まりとなった。品川区は、二三区のうち競馬場をもつ唯一の区であり、また区内にはオートレース場もある。従って、都営ギャンブルの廃止は、さまざまな反響を区民にあたえる。区民のなかには、直接・間接に競馬やオートレースに関係した職業の人も少なくはないし、ファンの数も地元だけに多いであろう。また逆に、ギャンブルに由来する生活破綻から多少なりとも救われることを喜ぶものもあろう。しかし、この都営ギャンブルの廃止を最も歓迎する人びとは、ギャンブル開催場所周辺の住民にほかならない。もっとも、都営競馬が廃止されても、主催者の肩代わりによって大井競馬は存続する。ただ大井オートレースは、昭和四十八年三月二十二日のレースを最後に完全に廃止となった。次にあげる大井レース場近くに住むひとりの主婦の声は、心から大井オートレースの廃止を歓迎する者の声であり、それはまたオートレースに伴う公害がいかなるものであったかを物語ることばでもある。


第223図 ギャンブル公害の発生源 大井競馬場

 大井オートレース場近くに住む主婦、酒井美智子さんの話。

 〝公害〟付きを承知で一年前に入居したのですが、想像以上のすごさでした。廃止でホッと一息というところです。開催日はオートバイの爆音で家の中で話もできないくらい。夏の暑いときガラスを閉め切ってうだるような生活は思い出してもゾッとします。近所の商店に夕食の買出しに行くのもレース終了と合わないよう気を遣い、オートバイ、人の波に埋まる家の前には子供たちも出せませんでした。レースが終わり、やっと静かになったとホッとしていると風にあおられたはずれ車券がどっと家の中に舞込んだこともたびたび。自治会でレース場へ申入れをしましたが、キキ目はありませんでした(『毎日新聞』昭和四十八年三月十六日)。

 大井競馬場・同オートレース場の周辺住民の被害は、早くから一種の公害として認識されてきた。たとえば、四十一年夏には、区議会公害特別調査委員会は、競馬開催当日の不法駐車の実情を調査している。開催日に集まる車は四、〇〇〇台、そのうち二、五〇〇台は競馬場周辺の路地に不法駐車し、付近の住民や車の通行のさまたげとなっている。警察もあまりの数に取り締りが徹底できないという。

 以上のような交通上の支障ばかりでなく、競馬場・オートレース場から京浜急行の立会川駅に通ずる道路周辺の人たちは、紙屑の氾濫・酔っぱらいの横行などによる数々の被害を訴えてきた。なかには、レースに負けた腹いせに窓ガラスをこわされたり、看板にいたずらされる例も少なくなかった。区では、これらの公害対策費として、競馬場周辺環境整備費を四十三年の補正予算から計上した。これによって、立会川駅から競馬場に通ずる新浜川橋までの間約三〇〇メートルの道路を、レース開催日にはかならず清掃する一方、周辺に街灯四五灯を新設した。また付近の公衆便所二ヵ所を拡張、一ヵ所を新設した。

 競馬・オートレースには八百長その他の不祥事件が起こりがちである。四十七年三月五日のオートレース場の事件は、三〇〇人が投石・放火するという二十九年十一月のオープン以来の大がかりな事件であった。その経過の概要を『朝日新聞』(昭和四十七年三月六日)は次のように報じている。

 

 「東京・品川の都営大井オートレース場で、五日夕、出走車のオイル漏れ事故から、最終レースが中止されたが、これに不満をもった観衆約千人が騒ぎだし、事務所や投票券売場に押しかけた。うち約三百人は、約一時間にわたって窓ガラスに投石したり、売店に放火をするなどの乱暴を続けたため機動隊が出動、三人を放火などの現行犯で逮捕した。この騒ぎで六、七日のレースは中止されることになった」

 

 この事件の直接の損害は、「ガラス四百一枚、はめ板二十ヵ所、ベンチ二十一ヵ所がこわされたり燃やされたりし、売店一軒が全焼した」と報じられている。しかし、このような事件によって受ける付近住民の衝撃は、直接の損害以上に大きな問題である。まかりまちがえば、類焼を受けたり、投石のそばづえをくう危険が多分にある。ギャンブル公害はこのような危険まで含むのである。大井オートレースは、これより先、プロ野球選手の八百長事件に関連して、その反社会性が問題とされていたが、この事件によって、主催者である都は、その廃止時期を早めることを決意したといわれている。四十八年三月二十九日には、大井競馬において、同様の投石・放火事件が起こっている。

 競馬公害は、少年非行につながる。馬券買いにふけっていた中学生ら一七七人の少年が、都内において補導された。大崎署が補導した少年たちのリーダーのひとりは、区内の中学三年生であり、競馬好きの母に連れられて競馬見物にいったのを契機に興味をおぼえ、仲間とともに東京・大井・中山・船橋の各競馬場や、新宿・渋谷などの場外馬券売場へ足しげく通うにいたった。馬券購入の金に困るや、万引などの非行を行なっていた。もちろん競馬法では未成年者の馬券購入は禁止されているが、実際には窓口でとがめられることはなかった。この事件は四十六年六月、日本ダービーが「百億円ダービー」といわれて、マスコミが競馬熱をあおりたてたころのことである。そのような点にも問題はあるが、ギャンブルの及ぼす悪影響の大きさが指摘できる。先にあげた大井オートレースの放火・投石事件の逮捕者のなかにも二名の少年がいたのである。