品川区における区長準公選は、東京二三特別区における最初のものとして、区民の意思を反映させ、「区民の手による区政」への第一歩を踏み出したものである。それが、住民運動と、区議の強い連携と、超党派体制とに支えられて、きわめて成功裡に準公選条例の制定をかちとったことは既に指摘した。しかし、その後、自民党区議は、区長公選の早期実現に動いた政府・自民党への義理だてと、動員力のある革新側に仮に区民投票で敗れることなどを考慮し、公選まで待って、自民党の手で公選を実現したという功績を残した方が得策だという判断から、投票延期論を主張し、超党派体制を崩した。それにもかかわらず、準公選がゴールに到達しえたのは、住民運動の激しい抵抗があったからであり、とくにそれは単に区民のみならず、同じく準公選運動を推進しながら、品川での成果に期待を寄せる大田・足立・練馬・中野・江戸川各区の代表の支援も大きな力であった。九月二十一日の区長準公選実施・品川革新区長実現都民集会は品川公会堂で開かれたが、二三区の関係者約六〇〇人が参加した。もっとも、このような支援の上に立ちながら、品川区独自の態度を一方で堅持したことも評価すべき点であろう。
区民投票の投票率は、有権者の三八・七一%であった。比較すべき数字がないため、これをいかに判断するかはむずかしい。準公選運動の先頭に立ってきた篠原一(しのはらはじめ)東大教授(政治学)は、二〇年間の区長選の空白を考えれば、この投票率は一応評価してよいものであると述べている。協定違反ゼロの選挙運動も、衆院選も見習うべき「クリーン選挙」と評価されている(『朝日新聞』昭和四十七年十一月十九日)。しかし、準公選のもつ画期的な意義にくらべて、立候補者が、前区長と前助役との二名のみに終わったことは、青年層の有権者にとって投票への意欲を失わせるものであった。アメリカ大統領戦でマクガバン候補支持の若者たちの間で起こった「草の根運動」を手本にして、日本における「芝の根運動」を提唱しているひとりの青年は、品川区の区長準公選にだれかを支持しようと計画した。ところが、立候補には区議二人以上の推薦が必要であり、すでに各党はそれぞれの候補者を推薦していたため、他の候補を立てることができなかった。その青年は、品川の準公選を次のように批判している(『毎日新聞』昭和四十八年三月十七日)。
「われわれの支持したい人は見つからずじまい。結果は、投票率は四〇%弱で、二十代の投票者はそのうちの一割にも満たず、五十歳以上の投票が多く、辛うじて準公選の形が保たれたようですが、あれは区費三、〇〇〇万円をかけた区のPRだったのですね。」
この批判は、準公選における住民運動の役割が、投票の段階に至るや急に後退し、議会の各政党と労組が主導する従来の選挙運動の形に変わっていった、という批判と軌を一にするものとみることができる。
品川区の準公選の実施についての、内在的な批判と評価はほぼ以上の通りといえよう。しかし、品川の準公選運動は、それ自体において意義があるよりもむしろ、準公選運動全般のなかでどれだけの意義をもちうるかを考えることが、いっそう重要である。というのは、準公選運動の提唱者においては、それは単に自治法改正のための戦術ではなく、現代民主主義のための戦略にほかならないと考えられているからである。それは、在来の議会制民主主義の空洞化に対して、いま一度民主主義を民主化するには、いかにすべきかということから出て来た考え方である。人口五万から二〇万位のところに権限をおろし、アマチュアとして市民が政治に参加していく、いわゆる「参加民主主義」がそれである。とくに東京の場合は、準公選が各区に波及し、区長公選をかちとっていくことこそ、民主主義の民主化になる。篠原一東大教授のこのような考え方に照らして、品川区の準公選をみるならば、その成果は、この運動の先駆的特別区であった練馬区における準公選条例を可決に導き、大田区をはじめとする各区の準公選運動を進展させた。しかもそれは、自民党都連の区長公選要望を契機として、政府・自民党を公選早期実現に踏み切らせた。とくに、自民党都連は、自民党内部でも最も強く区長公選に反対していたものである。永井辰男議員の談として、『朝日新聞』(昭和四十八年二月十二日)が伝えているところによれば、四十七年七月、自民党品川区議団が、条例制定支持の態度を打出したとき、同区議は党東京都連から呼び出しを受け、都幹部から、革新の運動である準公選をなぜ進めるか、準公選が実施されれば公選は必至、そうなれば二三区の区長の半数以上は革新になってしまう、自民党員としてこの点をどう考えるかと非難されたという。その自民党都連の態度を変えさせるに至ったのは、その後の品川における準公選運動の具体的進展にほかならなかった。
もっとも、自民党における区長公選論は、地方制度調査会の答申と同様、自主財源、都からの権限委譲と結びつけられたいわゆる「三点セット論」である。それゆえ、この立場からは、準公選には反対である。公選法によらない人気投票的な選挙は、大きな弊害を残す危険がある、とするのが自民党都連のいわばほんねである。その意味では、準公選運動の前途には、克服すべき問題がなお残存しており、新区長の就任をもって終わったとはいえないのである。しかも、四〇%に満たなかったこの運動への積極的参加をさらに推し進めるには、区長選任における住民参加を、区政における住民参加として完成させていくことが必要であろう。とくに、区民自身の手によって公害に苦しむ品川区の環境保全と、充実した行政サービスの確保を達成することが、区民の課題にほかならないのである。