地域の実態調査にもとづいて、再開発の設計プランが、研究会メンバーによって作成された。設計の方針は次の通りである(「品川再開発―調査・分析および計画案―」)。
設計にあたっては出来るだけ旧来の地区の特性をいかし、住民を住み続けさせ乍らそれを新らしい環境に適合させるということを重点として考えた。敷地割は短冊型に細長く、外周街路にほぼ直角に区切られているので、その割を尊重し、しかも、その中におのずから形成されているコミュニティが再開発後も出来るだけ維持されるように留意した。このような配慮は敷地が或る程度まとまればたとえ部分的であっても事業が着手しうる素地を残すこととなろう。現在の町並みは大凡二階迄の低層であるので、将来ともその形に突然の変更がないよう建物は中層に止めたが、しかしその容積は現在の人口の一二〇――一五〇%程度は収容しうるように高めている。
地区内の交通の流動については、各住戸とも自動車の接近を許しながらも、歩車の分離が可能となるように考慮したが、元来この地区が露路を通ずる歩行者の自由な通行によって支えられていることを重視し、その通行とそれにつながる子供の遊び場などの確保には努めて留意した。尚駐車の需要増についても出来る限り考慮してある。
設計は、次の基本条件にもとづいておこなわれた。
1、住民主体の再開発
2、漸進的改革
3、一人の住民も追い出さないような再開発
4、人口は現状の五〇%増迄に止める
5、建物は五~六階どまり
その結果つくられたプランは、次の原則を通したものである
1、地理的・歴史的条件を重要視し、短冊型開発単位に則って建て換えて行く
2、横町コミュニティを尊重し、現在の商店の上には縦型の階段室を幹とした住居群が積み上げられ、裏のほうには横にのびる廊下を中心にして積層された住居群を構成した
3、商店・地主などが中心となって地域社会に流動的な階層と新しい入居者とを結びつけ、協同関係を作り出す
4、高層化により、街区の中に中庭を生み出し、子供の遊び場とする
5、できるだけ現在の敷地と建物の権利関係は持続し、生活感情を生かした変化に富んだ空間と雰囲気を作り出す
6、寺と神社の敷地はオープンスペースとして残ることを期待する
7、現在の風呂屋の位置に地区センターを置く
8、車は地域両側の自動車通りからアプローチし、駐車場を作り、旧東海道を歩行者に開放する
9、地域両側の自動車道に面して新たに、倉庫・工場・業務の建物が建つことを予想する
もちろん、このような設計プランの作成で地域の再開発が終わるわけではない。それは、再開発に関するひとつの見通しをあたえるにすぎない。研究会としては、「地元の人びとが自ら自分たちの権利を調整し自主的に開発しようと決意し団結するまでは」研究以外になしうることはないという立場に立って、研究会は一方では区に対して、地元グループに対し、研究成果の説明を行ない、他方佐伯牧師を中心として地元住民による地域のさまざまな問題に関する運動に貢献した。取り組んだ問題には、環六と旧東海道交差の問題・京浜急行高架化と北馬場・南馬場駅統合問題などがあった。研究会の提示した再開発プランが、漸進的な住民主体のそれであるだけに、地域住民の再開発への積極的取組みまでには、なお多くの年月を要するであろう。品川地区が「停滞または準備の期間」を経、外からのインパクトを与えられて「再生の手掛りを掴む時期」にはいり、周辺の地区に連鎖反応を起こしながら変化を示すに至る時期は、一九七五年以後とされている。
品川開発研究会の成果は、地域の特性を生かした住民主体の「(東京の)山手線周辺のドーナツ状木賃スラム街」の再開発プランとして、高く評価されるものである。と同時に、昭和四十年代初頭における区内での再開発問題について先鞭をつけたパイオニア的意義もまた評価されてしかるべきであろう。品川区における再開発についての問題意識はこのようにして醸成され、品川教会敷地内に建てられた「品川地域センター」に受けつがれている。