累積する悪条件を克服して、品川区を住みよい町として整備・改造していくことは、もちろん容易なわざではない。つぎつぎに起こる問題への対策に追われるだけでは、問題の根本的解決は期待できない。何よりも必要なのは、区としての確固たる長期的展望に立った基本的構想の確立である。区では、昭和四十六年八月、「品川区長期計画審議会」を発足させ、昭和六十年を目途とした長期計画について諮問した。審議会は松井達夫(まついたつお)早稲田大学教授を会長とし、学識経験者・区議会議員、区内の公共的団体の代表者、区に勤務する職員の計三四名で構成された。
この諮問への答申は、四十七年九月、「昭和六十年を目途とした品川区長期計画の基本構想」という形でなされた。その副題が「住宅と産業の調和のとれた緑豊かな近代都市」とされているように、この基本構想では、「職住近接型の都市」と「緑と太陽に裏うちされた都市」とのふたつのポイントに重点をおいて、品川区の未来像が描かれている。これらのヴィジョンを追求しながら、都市づくりとして品川区の地域整備を考えるわけであるが、その基本的方向として、あくまでも区民の生活を中心として構想を進め、「コミュニティの設定」や「住民生活のための都市核の形成」などが意図されている。
この基本構想は、品川区の長期的開発計画の基本的考え方を、具体的計画の立案に先立って提示したものにほかならない。しかし、その基本構想をつらぬくために必要な重点的施策の幾つかを、「基本構想の課題」としてあげている。これらが明らかにされることによって、基本構想の内容がはじめて具体的に理解される。以下、六つの課題について、その内容を略説する。
一、品川区の骨格の形成。
都市の骨格である交通網を再構成するため、区内交通の東西型の交通パターンを整備する必要を提唱するとともに、交通網の再構成をつうじて、土地利用形態の再構成に及ぶことを計画する。そこではとくに、環状六号線と第二京浜線のそれぞれにバイパス=ロードを設け、それらを幹線道路として利用することとされている。それは単に現在の交通のボトル=ネックを打開するだけでなく、移設した道路跡地を「地区と地区とを結ぶ歩行交通の動脈」である「緑道幹線」として利用する。区内には (1)目黒川緑道幹線 (2)立会川緑道幹線 (3)京浜国道沿緑道幹線 (4)東海道幹線の四つが計画される。これらの緑道幹線を主幹として緑道幹線―住区内緑道の緑道ネットワークが形成され、さらにそれが、建物にアプローチするループ状の一方通行の道路である「地先道路」に通ずる。それは、車の乗り入れの禁止された歩行者専用の道路である。
二、都市的核の形成
地域的まとまりを欠いている品川区にまとまりを与えるために、現在では孤立している目黒・五反田・大井町・大森の各商業地帯を結びつけ、商業中心のベルト地帯を形成する。そのため、五反田・大井町間を交通網によって緊密に結びつけ、その中間点の大崎駅前の再開発を行なうという構想である。
三、土地利用の純化と機能分担
原則的には高級住宅は保全地区とし、密集住宅地と商店街は再開発、混合地区は住工分離と再開発を、また工業地は、集約化、共同化を進める。すなわち、居住環境を阻害する工場を住宅地から離しながらも、工業の質的転換をはかり、交通の利便性と伝統的産業基盤をもつという工業立地上の有利性を積極的に生かすよう考えられている。
基本的な考え方としては、内陸部に立地する工場は、住宅地から排出して、周辺部または区外の遠隔地にもってゆき、住宅地の純化により工場公害を排除する。とくに目黒川流域の緑道開発にともない、その周辺地域は居住環境水準を高め、住宅地として整備してゆくものとし、転出できない工場は、無公害で清潔なもののみを許可して、工場のまわりには、空地を多くとり、住宅地との境には植樹をおこなうなど、住宅と工場が直接的に接することがないようにする。
工業地帯は現在の地域にとどめる。住・商・工の混在地域は、住居地帯と非住居地帯とを分離し、純化を積極的にはかる。また、京浜工業地帯に属する海岸線の工業地帯および大崎、広町地区は工業再編成地区として、工業内容の変質と流通機能の整備に対応できるような都市型工業の技術コンビナートを形成する。
商業地帯は、五反田・大井町・南大井を結んだ商業ベルト地帯と、地下鉄戸越・中延駅を中心とした第二京浜跡緑道幹線沿いの住商混合の再開発地帯と武蔵小山の商店街の三地区によって構成される。商業ベルト地帯は先に述べたように区の都市的核を形成し、武蔵小山、第二京浜跡商店街は住居地域および大田区・目黒区の隣接区にサービスするショッピング=センターとして構想されている。
四、第一次生活圏の設定
区内に一四ブロックの第一次生活圏を設定する。各ブロックは、大量輸送交通駅一ヵ所ずつが配置され、小中学校、クリニック、郵便局、区出張所などの総合ビルディングが中心になり、近隣公園・レクリエーション=センターを設ける。第一次生活圏の規模は、一五分間の歩行距離圏であり、これをもってコミュニティ単位とする。
五、第二次生活圏の設定
第二次生活圏は、おおむね四個の第一次生活圏の群れを考え、五反田・大井町・南大井・武蔵小山を中心にショッピング=センター、駐車場ビルを配置する。
六、大井埠頭の利用
大井埠頭の利用について、交通と再開発に焦点をしぼると、交通問題では本区を通過するだけの車は幹線に限り、補助幹線道路には通さないことが望ましく、大井埠頭と現在の区との連絡は、環状六号線と七号線のみとする。再開発との結びつきでは、第一に公園緑地を最大限に確保し、第二に再開発のための工場などの移転用に利用するとともに、内陸の跡地は環境の改善と、不時の避難場所として利用し、第三に、住宅地としての利用は、この地域が大気汚染・騒音・振動等生活環境がきわめて劣悪なことが予想されるので、区部内の再開発との関連で住宅地化を図ることが肝要である。
「長期基本構想」には、以上のほか、社会開発計画として明日の福祉をいかに考えるか、また、社会教育をいかに充実するかについても触れられている。しかし要するに、それは、品川区における都市計画の長期的計画についての基本的考え方を明らかにしたものであって、これのみによって問題が完結するものではない。基本構想にもとづいた「基本計画」へと、その考え方を段階的に具体化としていくべきものである。しかもそれは、住民参加の方式にのっとってはじめて可能なことである。
品川区では、広報『しながわ』三六五号(昭和四十八年三月二〇日発行)を「品川区長期基本構想特集」号とし、長期構想についての区民の意見と要望を求めた。しかしながら、区民の積極的反応はいまだみられないという。それは、基本構想が、十数年先の青写真であり、しかも一種の考え方の表明に終わっているため、区民の具体的関心の対象とならないためであろう。しかしながら、基本構想のなかでも明らかにされているように、これは、今後区内でおこなわれる国や都などの建設事業について、区民の利益を第一に考えるように、国・都、あるいは民間に強く訴える基準となるものである。二三区に先がけて区長準公選をかちとった品川区民は、この基本構想の実現に主体的に参加し、みずからの手で「住宅と産業の調和のとれた緑豊かな近代都市」をつくり出すことによって、新しい品川区の形成を果たしていくのである。