あとがき

1071 ~ 1073

 東京都二三区のうちただひとつの区史未刊区であった品川区が、区史編さん事業に着手したのは、昭和四十三年のことであった。それ以来、基礎的資料の蒐集と準備的調査を進めつつ、『資料編』『地図統計集』『品川県史料』『品川の民俗と文化』を逐次刊行してきた。四十八年三月には、自然編・原始古代編・中世編・近世編の四編から成る『通史編(上巻)』を上梓し、いまここに近代編・現代編を内容とする『通史編(下巻)』を世におくる運びとなった。近代と現代との時期的境界を、品川区史の場合にどこにおくべきかについては、さまざまな意見があったが、結局昭和七年の市郡併合を境として、それ以前を近代、以後を現代として取り扱うこととした。

 本来区史というものは、一部の区関係者や専門研究家だけのものではなく、広く区民に読まれ親しまれるものとしてつくられねばならない。その方針にそって、執筆者もつとめて平易な表現を用い、本文のなかに資料をそのまま引用することを極力さけるように心がけた。『通史編』刊行に先だって『資料編』や『地図統計集』を出版したのも、読みやすい『通史編』とするための配慮からであった。いまできあがった『通史編』とくに下巻を手にして、第一に思うことは、右に述べた意図が果たして十分に達成されているかどうかという点である。とくに遺憾なことは、当初からの意図にもかかわらず、下巻においては、本文のなかに資料を引用しなければならなかった部分がかなり多くなっている。それはひとつには、執筆まぎわになって新しい資料が発見されたことと、平易な表現を意図しつつも、資料に基づいた正しい客観的歴史叙述をめざしたことから起こったことであり、読者各位の寛大なご理解を願うものである。

 近現代史を内容とする下巻の編さんに当たってのむずかしさは、比較的身近かな時代の問題を、歴史の流れのなかにいかに位置づけるかという点であった。とくに現代編に関しては、歴史の動向に対する洞察を含めた叙述をよぎなくされる部分もあったが、その適否については、今後の歴史の審判をまたねばならないのである。また、東京の一部としての品川区域の近現代史を考察する場合、時代が新しくなればなるほど、生活・文化全般にわたって画一化がいちじるしくなり、地域的特徴や個性がそのなかに埋もれてしまう傾向が顕著となってくる。それゆえ、現代編の一部においては、品川区史であるにもかかわらず、きわめて一般的な歴史叙述をおこなわねばならなかった。

 資料の所在に関しては、上巻が扱った時代に比較して、近現代史関係のものが遙かに豊富であったが、町役場・区役所関係の官庁文書は、町村合併、市郡併合、失火、戦災さらには敗戦時の混乱のため散逸が甚だしく、とりわけ旧荏原町関係の資料不足は、執筆者にとって最大の悩みであった。本文における叙述において、旧品川町に関するものが多いことに、読者は気づかれると思うが、そのような地域的不均衡は、右にあげた資料の不足に基づくものにほかならないのである。

 『通史編』なかんずくその下巻には、なるべく多くの写真を掲載するのが当初からの方針であった。しかし、区史編さんのために蒐集した写真の一部をすでに写真集『目でみる品川』に収録発刊したことは周知の通りである。ただ『通史編』本文中に掲載した写真のうちには、必ずしも鮮明でないものが若干できてしまった。これは、ひとえに掲載すべき写真は、その時代のものを、そのまま載せるようにしたためにほかならない。この点ご寛恕を乞う次第である。

 昭和四十三年以来の区史編さん事業の歩みを振り返ってみると、それは必ずしも順調なものではなかった。発足当初の時期に全国を風靡した大学紛争のために、執筆者の何名かはそれぞれの所属する大学における紛争処理に忙殺されがちとなり、編さん事業にとって大きな支障となった。また、下巻の教育関係の資料蒐集と調査に重要な役割を分担していた小山毅氏(専修大学文学部助教授)が不幸にも病に倒れ、入院をよぎなくされた。このことは、下巻の執筆にとって大きなショックであったが、幸いにして横田・栗木両氏の特別の努力によってその欠を補うことができた。小山氏の全快の一日も早いことをここに祈ってやまない。

 以上のような編さん事業における内部的支障と困難に加えて、物価の高騰・物資の不足等周囲の外部的情勢にも悪条件がかさなっていった。それにもかかわらず、品川区長をはじめ、区側の温い理解と事務担当者各位の献身的な努力に支えられ、この下巻の発刊をもって『通史編』の完結をみたことは、大きな喜びであり深い感謝である。とりわけ、区史のために多くの貴重な資料を提供してくださった区内外の個人各位・社寺教会・図書館・研究機関・事業所等に対しては、心からの御礼を申しあげる。

 最後になったが、執筆者各位のご尽力に対しては、左にその氏名をあげさせて頂いて、心からその労をねぎらい、かつ感謝する次第である。下巻については、その執筆分担は次のとおりである。なお下巻の調査・執筆にあたって、早稲田大学大学院・須崎慎一、一橋大学大学院・市川亮一、東京都立大学鉄道研究会・福田行高ほかの諸氏に多大のご協力を頂いた。その名を記して深謝申しあげる。

 通史編の上梓をもって、区史編さん事業はいちおう峠を越したことになるが、さらに『続資料編』『年表』の作成を今後の仕事として進めている。                           下巻主任 工藤英一