赤土の中の文化

3 ~ 3

(「原始・古代の品川」中扉の写真)


▽大森貝塚発掘の図(『大森介墟古物編』)

 

 

 昭和二十四年、群馬県岩宿遺跡において関東ローム層中より出土が確認された縄文文化に先行する先土器文化の存在は、それまでに知られていた日本列島内における人類居住の上限年代を、大幅に引きあげることになった。

 岩宿遺跡において石器が発見されるまで日本の考古学界は、関東ローム層(赤土)は人類生活以前の堆積層として調査の鍬を入れることなく過ぎてきた。しかし、岩宿遺跡の発見以後、関東および中部地方におけるローム層中出土の石器が相ついで学界に報告されるにいたり、現在においては全国的にそれの類例が知られるにいたった。その文化は、土器を伴わず、石鏃が認められないもので、各種石器の組合わせおよび層位的出土例などより、文化の発達段階が明瞭に把握されつつある。

 東京における先土器時代の遺跡は、昭和二十六年に板橋区茂呂(もろ)において確認され、その後、石神井川および野川の流域などにおいて幾つかの遺跡が調査されている。

 石器の原材として利用された黒曜石は当初は箱根産を用い、ついで信州和田峠産を用いたことが明らかにされつつあり、当時における人々の活動範囲をうかがうことができる。

 品川区には、現在のところ以上のごとき先土器時代の遺跡は発見されていない。