縄文文化の曙

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 縄文文化の研究は、明治十年十月に、E=S=モースによる大森貝塚(東京都品川区より大田区にわたって存在)の発掘によって開始された。縄文文化の起源をめぐる問題については、縄文土器の出現が約一万年以前に認められるとする考え方と、約五千年以前に縄文土器が現われたとする考え方とがある。


第1表 日本石器時代とC14年代(芹沢長介氏)


第1図 E=S=モース

 前説は、放射性炭素C14による年代測定の結果にもとづき、後説は、その測定値に疑問をいだき、大陸における文化の状態を念頭に入れて、それと対比検討することによって導き出された考え方である。

 縄文時代の研究は縄文土器の研究を中心としておこなわれてきた。縄文土器の大別と細別によって把握された各時期における文化の様相と特質は、それを軸として空間的に展望されることによって、文化圏が認識され、ついで文化と、それをつくりだした社会の構造が明らかにされてくる。

 土器型式の研究によって五期あるいは六期に大別された文化は、各地域の各時期において、あるときは独自に、あるときは周辺地域における文化と融合して形成されている。そして、土器型式の編年によって時間的序列が編成され、それに立脚して文化の内容が把握されている。

 この頃における東京周辺の土器は、撚糸文(よりいともん)土器群が主体をなしている。神奈川県横須賀市夏島貝塚は、撚糸文土器を出土する貝塚であるが、そこでは明らかに骨製釣針、イノシシ尺骨(しゃっこつ)の刺突具などの漁具が認められ、漁撈活動が盛んであったことが示されている。

第2表 縄文土器の編年(山内清男氏)
推定年代 型式(関東地方) 中国文化
C.2500 B.C. 草創期
JomonⅠ
大谷寺 1 隆線文 彩陶
2 浅縄紋
3 斜縄紋
井草・大丸
夏島
稲荷台
花輪台・大浦山
C.2100 B.C. 早期
JomonⅡ
普門寺式等稀縄文型式群 黒陶
三戸式
田戸式 1,2
子母口式
茅山式 1,2,3,4
C.1700 B.C. 前期
JomonⅢ
花積下層式 原史時代
関山式
黒浜式
諸磯式 a,b,c
十三菩提
C.1300 B.C. 中期
JomonⅣ
五領台
阿玉台・勝坂
加曽利E 1,2,3,4
C.900 B.C. 後期
JomonⅤ
称名寺
堀之内 1,2
加曽利B 1,2,3
曽谷
安行 1,2
C.500 B.C. 晩期
JomonⅥ
安行 3 a,b,c,d 戦国
手綱/荒海
荒海/女方

C.100 B.C.

 住居は、方形の竪穴住居であったが、同時存在の住居数はまだ明瞭でない。この撚糸文土器を伴う遺跡が、かつて、西五反田五丁目三十二番地付近において発見されたが(旧桐ケ谷火葬場付近遺跡)、その遺跡は区内では最古のものである。同じく早期の遺跡としては、大崎二~三丁目にかけて存在する、居木(いるき)橋貝塚の貝層下より発見されている。居木橋貝塚は、後述するように前期の後半に築成されたものであるが、その貝塚形成以前に遺跡が存在していたことが知られ、わずかの土器片が検出されている。