前期になると、土器型式の把握によって六つ以上の文化圏が成立したことが明らかである。九州を中心とする文化、中部地方の西半より中国・四国にわたる文化、中部地方東半より東海・関東地方を包括する文化、東北地方南半の文化、東北地方北半より北海道の南半にかけての文化、北海道の南半をのぞいた文化がそれである。
関東地方の文化は、隣接する東海地方および中部地方の東半にかけて分布する土器の観察を通して、その文化圏が設定されるが、それを分析すると前半と後半とでは若干の相異を見せている。前半に属する文化の遺跡は関東地方に濃密に分布していることなど、その差異の一つである。この時代の文化は、とくに東日本において顕著な発展をとげ、各種の石器・骨角器が製作使用され、海岸地域では貝塚の形成が盛んである。調理用具としての石皿と磨石がセットとして普遍的に見出されるようになり、食料獲得と調理の方法にあらたなる展開がうかがわれる。住居は、長方形を呈し、集落の実態もかなり明瞭に把握されている。区内においては、居木橋貝塚が築成され、目黒川谷をはさんで対岸にも同時期の貝塚が見られる。