南関東地方に弥生文化が伝播したのは、中期にはいってからであった。その文化は、在来の縄文文化と融合して、独自の土器をつくりだした。縄文装飾のつけられた土器の存在が、その一端を物語っている。畿内と同じく磨製石斧が盛んに使用されているが、太形蛤刃石斧・柱状片刃石斧・扁平小形石斧のほか、打製石器も見られる。しかし、石庖丁の普及はなく、それに代わるべきものが使用されたようである。石庖丁の存在がまったく認められないのではなく、若干の出土例はあるが、その量はきわめて少ない。集落の規模もさして大きくなく、鉄製品の使用も普遍性を有していたとは考えられない。
後期に入ると、その傾向は一変し、大規模な集落が各地に出現する。有名な大田区久ケ原遺跡は、その顕著な一例とすることができる。鉄器の使用が一般的になったことは、石器の消失によって裏づけられ、また、縄文的な色彩が土器より一掃される。