武蔵国府は、現在の東京都府中市に設置された。この地は多摩川左岸の河岸段丘上の南縁にあたり、それより北に向かっては広い平坦面が連続し、丘陵南方の多摩川氾濫原には、かつて条里の痕跡が認められていた。国府域は、周防国の場合は方八町の範囲を土塁で囲み、その中央に国衙(こくが)を設定していた。また、国衙の規模は、近江の場合は、中門・正殿・後殿が南北一直線上にならび、中門より正殿にかけての両側には、南北に細長い脇殿が東・西にそれぞれあり、それを門より派生した築地(ついじ)で囲んでいる、という一種の朝堂院形式の配置であり、中央の宮殿に見られる配置と軌を一にしていたことが知られている。
武蔵国の国衙跡は、大国塊神社境内を中心とする地に存在したことが明らかにされつつあり、出土遺物の認定などより、それの所在地が推定されている。