道中奉行

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 慶長八年(一六〇三)、江戸に幕府が開かれると、江戸と全国各地との交通は、いっそう盛んになり、慶長十九年から翌年にかけての大坂の役による軍兵の大移動、寛永十二年(一六三五)の参勤交代制の確立、同十四年から十五年にかけての島原の乱による出兵を契機として、道路・宿駅の整備はいちだんと進んだ。

 万治二年(一六五九)には交通業務を統轄する道中奉行が置かれ、大目付高木伊勢守守久がこれを兼帯した。元禄十一年(一六九八)には勘定奉行松平美濃守重良が出役し、以後は大目付と勘定奉行が一名ずつ道中奉行を兼ねることになった。道中奉行の管轄した街道は、いわゆる五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)のほか、山崎道・美濃路・佐屋路・本坂(ほんさか)道・日光例幣使(れいへいし)街道・壬生(みぶ)道・日光御成(おなり)道・水戸佐倉道があった。