現在の品川区域は江戸時代の行政区画でいうと、南品川宿・北品川宿・二日五日市村・下大崎村・居木橋村・上大崎村・谷山(ややま)村・桐ケ谷村・戸越村・上蛇窪村・下蛇窪村・大井村・中延村・小山村の二宿一二カ村から成っていた。この中には東海道沿いの宿場町(南北品川宿・歩行新宿)や海沿いの地に作られた猟師町(南品川漁師町・大井御林町)が含まれていたが、大部分の地域は純然たる農村であった。品川宿の機能や宿民の生活についてはすでに述べたので、この節では村々の支配組織や、年貢のこと、農民や漁民の生活についてみていくことにしよう。
まず参考として天保期における品川区域の村々の石高・家数と、耕地における田地面積の比率を挙げておく(第8表)。全体として畑地の多かったことが判るが、目黒川沿いの居木橋村・下大崎村・二日五日市村は比較的田地率が高く、反対に戸越村・谷山村・上大崎村等はとくに畑地の多い村々であったことが知られよう。
村名 | 石高 | 家数 | 田地面積比率 |
---|---|---|---|
石 | 軒 | % | |
南品川宿 | 五四五・五 | 六七二 | 三二・九 |
北品川宿 | 四四五・三 | 九二〇 | 三二・六 |
二日五日市村 | 九八・九 | 二一 | 四一・四 |
下大崎村 | 二二七・三 | 四二 | 四一・四 |
居木橋村 | 二三一・八 | 四〇 | 四四・一 |
上大崎村 | 一五八・七 | 二三 | 一六・一 |
谷山村 | 一一〇・一 | 二一 | 一五・四 |
桐ケ谷村 | 三六七・三 | 五八 | 三一・二 |
戸越村 | 七五三・二 | 一四五 | 七・〇 |
上蛇窪村 | 一八五・五 | 三六 | 二三・一 |
下蛇窪村 | 二七三・一 | 五〇 | 一七・四 |
大井村 | 一五六三・〇 | 五一三 | 二八・一 |
中延村 | 四八〇・五 | 六二 | ? |
小山村 | 二六九・三 | 六三 | ? |