歩行(かち)新宿

114 ~ 115

北品川宿三町目の北から八つ山の境までにある。もとは北品川の善福寺や法禅寺の門前で、酒食を出す茶屋の町であったが、享保七年(一七二二)に宿場に加えられて歩行新宿と称し、食売女も置くことができるようになった。家敷は三八八軒、うち脇本陣一、旅籠屋二七軒あった。江戸に最も近いので、三宿のうちでも、もっとも繁栄をするようになった。

 海岸には物揚場が三か所あったが、一町目と二町目の境の海岸は問答河岸(がし)という。三代将軍家光が鷹狩のときに上陸した跡であるが、家光が東海寺に赴いたときに、沢庵がここまで出迎えて、禅問答を行ったというのである。


第46図 問答河岸の碑