日本橋から二里。荏原郡の東境にある。家数は二一軒。南は目黒川が流れて水田が多い。村内には大名の下屋敷が多かった。村内を相模の中原へ行く古い街道が通っていて、俗に中原街道新道といった。
天台宗の徳蔵寺のほか、増上寺の下屋敷があって、構内には七つの子院があった。そのほかにも、了福寺の門を入った正面には大崎明神社があって、もとは大崎郷の総鎮守であったという。
上大崎村
日本橋から二里。荏原郡の東境にある。家数は二一軒。南は目黒川が流れて水田が多い。村内には大名の下屋敷が多かった。村内を相模の中原へ行く古い街道が通っていて、俗に中原街道新道といった。
天台宗の徳蔵寺のほか、増上寺の下屋敷があって、構内には七つの子院があった。そのほかにも、了福寺の門を入った正面には大崎明神社があって、もとは大崎郷の総鎮守であったという。