上大崎村の東で、家数は三三軒。大名の別荘地が多かった。目黒川が南を流れるほかに、三田用水が流れて、水田を灌漑していた。
上下両大崎と谷山村の鎮守として雉子宮があり、日本武尊を祀っていた。その東には宝塔寺(天台宗)があり、村の東には臨済宗の寿昌寺、その北に本立寺(日蓮宗)があった。寿昌寺の開基は伊達政宗の妻の陽徳院栄庵寿昌尼である。
下大崎村
上大崎村の東で、家数は三三軒。大名の別荘地が多かった。目黒川が南を流れるほかに、三田用水が流れて、水田を灌漑していた。
上下両大崎と谷山村の鎮守として雉子宮があり、日本武尊を祀っていた。その東には宝塔寺(天台宗)があり、村の東には臨済宗の寿昌寺、その北に本立寺(日蓮宗)があった。寿昌寺の開基は伊達政宗の妻の陽徳院栄庵寿昌尼である。