中延村

117 ~ 118

荏原郡の中央にあって、村内を中原街道が通り、村の北の戸越村との境から、これから分れて馬込村を経て池上村に行く池上道があった。家数は文化・文政ごろは一一八戸。村内に鏑木という旧家があって、小田原北条氏から、この地方の荒野の開墾を命ぜられた文書を所蔵していた。

 神社には八幡社があり、その南に日蓮宗の法蓮寺があった。この八幡の像は、源義家の守護神で、頼信・頼義と伝来したが、義家の子孫という、この地の豪族荏原義宗の家に伝えられていた。それを、文永年中に夢のお告げで、池上村にいた日蓮を招いて、ここに勧請したのであるという。義宗の子が日蓮の弟子の日朗の門に入り、郎慶といい、法蓮寺の開基となったという。


第48図 中延の筍掘りとその道具