品川寄場組合

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 しかしながら、関東農村の治安状態はさらに悪化する傾向にあったので、幕府は文政十年(一八二七)天領・私領の別なく、もよりの村を組み合わせて寄場組合を作らせ、関東取締出役の下において、それぞれの地域の治安維持をはからせた。その組織のしかたは、およそ一〇カ村前後をまとめて小組合とし、小組合を五つ六つあわせて大組合とした。大組合には大惣代、小組合には小惣代をおき、大組合の一村に寄場役人がおかれた。

 品川区域では品川宿(南品川宿・南品川猟師町・北品川宿・北品川歩行新宿)のみで一つの寄場組合を作り、この外の一二カ村は大森村を中心とする三七カ村の寄場組合に組み入れられた。そのうち大井・下蛇窪・上蛇窪・戸越・桐ケ谷・上大崎・谷山・下大崎・居木橋・二日五日市の一〇カ村で小組合を作っていた。