麁朶ひびに付着した海苔の採集は大体十月中旬~下旬に始まる。初海苔は御膳海苔として献上され、その後二週間に一回くらいずつ採っていく。寒海苔がもっとも美味とされ、正月中旬から二月中旬くらいまで採集が続けられる。製造工程は、ベカというのり摘み専用の小舟に乗って、麁朶に生じた海苔を素手で摘み取り、ざるに入れ、家へ帰ってから真水ですすぎ、麁朶の小枝などのゴミを取り除く。それから両手に庖丁を持って細かくたたき、簀の上にすき上げて、屋外で乾燥させるのである。寒い時期における作業であったから、なかなか大変であった。
宝暦七年の南品川宿ほか三カ村の海苔の摘み取り製造に要した経費は第11表の通りであった。ひび建てに費やした分と合計すると二六〇両三分一五二文八分である。
採集・製造の経費 | (宝暦7年 大井村他3カ村) |
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貫 文 | |
松明24日分 | 224. 800 |
喰物24日分 | 241. 404 |
薪36日分 | 168. 750 |
炭36日分 | 84. 300 |
草鞋36日分 | 158. 60 |
水油24日分 | 95. 538 |
簀 | 140. 624 |
海苔取ざる | 28. 132 |
海苔干簀台 | 140. 500 |
合計 | 貫 文 |
1364. 620 | |
両 文 分 | |
(305.永100 7) |
このころ南品川宿ほか三カ村の干海苔は、浅草並木町の問屋四郎左衛門方に売渡し、同人方へ百文につき二文ずつの世話代を支払っている。問屋に直接売渡すほか、仲買の者へも売り、往還ばたのものは見世先でも売っていた。宝暦七年に三カ村で製造した干海苔は六〇万六九六〇枚で、売上高は六〇二両余となっている。必要経費三六〇両あまりを差引くと純益は二四一両余となる。なおひび箇所の増加した文化十年の南品川宿外八カ村の売上高は、およそ五万両に上った。